タグ:幕末
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甲府藩/柳沢家15万石:柳沢吉里 大和国郡山藩へ移封のため幕府城代が置かれた甲府城【幕末維新写真館】
【藩名】 甲府藩 【説明】 将軍綱吉政権下で有力となった側用人「柳沢吉保」が15万石で甲府藩に入封する。甲斐城には将軍の一族以外が入るという前例は無く、異例中の異例であり、それだけ将軍からの信任を得ていたことに…詳細を見る -
深見藩/坂本家1万石:坂本重治 勤務怠慢により減封の上廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 深見藩 【説明】 「坂本重治」は第5代将軍「徳川綱吉」のもとで大目付・寺社奉行などを歴任したため、天和2年(1682年)10月、1万石の大名として「深見藩」を立藩した。しかし大名として陣屋を構えること…詳細を見る -
荻野山中藩(小田原藩支藩)/大久保家1万3千石:大久保教義 倒幕派浪士隊により陣屋を襲撃された山中藩【幕末維新写真館】
【藩名】 荻野山中藩(小田原藩支藩) 【説明】 荻野山中藩は小田原藩大久保家の支藩である。天明3年(1783年)に駿河国松長藩主「大久保教翅」が陣屋を山中に移し立藩した。 慶応4年(1868年)「徳川家達…詳細を見る -
小田原藩/大久保家11万3千石:大久保忠礼 人見勝太郎率いる遊撃隊の来援で一度は旧幕府軍に協力した小田原藩【幕末維新写真館】
【藩名】 小田原藩 【説明】 貞享3年(1686年)に、下総佐倉藩主「大久保忠朝」が10万3千石で入封した。大久保忠朝は小田原藩最初の藩主「大久保忠世」の5代目にあたり、当時は幕府の老中であった。一度は本多一派…詳細を見る -
玉縄藩/松平家2万5千石:松平正久 上総国大多喜藩へ転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 玉縄藩 【説明】 玉縄城は小田原北条氏の支城であったが、天正18年(1590年)の豊臣秀吉の「小田原征伐」で落城する。 「徳川家康」が関東に入封し、家康の参謀「本多正信」の所領となったが…詳細を見る -
船形藩/平岡家1万石:平岡道弘 版籍奉還に先だって自ら廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 船形藩 【説明】 元治元年(1864年)10月、「平岡道弘」は加増を受けて1万石の大名に列し「船形藩」が立藩された。翌、慶応元年(1865年)には船形村で陣屋建設を開始している。 明治元年(18…詳細を見る -
安房三枝藩/三枝家1万石:三枝守昌 家督相続した守全が兄弟へ分与のため旗本となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 安房三枝藩 【説明】 「三枝守昌」は「関ヶ原の戦い」や「大坂の陣」において武功を挙げ、「徳川忠長」に仕えて1万5千石を与えられたが、忠長改易に連座して失脚したという。その後、再び幕臣として召し出されて…詳細を見る -
花房藩/西尾家3万5千石:西尾忠篤 徳川宗家の駿河移封の替地として横須賀藩から転封した西尾氏【幕末維新写真館】
【藩名】 花房藩 【説明】 明治元年(1868年)、遠江国「横須賀藩主」であった「西尾忠篤」が、安房長狭郡花房村に3万5千石をもって入部し「花房藩」が立藩された。これは徳川宗家が江戸から「静岡藩」へ移封されたこ…詳細を見る -
東条藩(西郷氏館跡)/西郷家1万8千石:西郷寿員 下野上田藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 東条藩 【説明】 元和6年(1620年)9月、下総国生実で5,000石を知行していた旗本「西郷正員」は、安房国への転封・加増を受けて1万石の大名となり、「東条藩」を立藩した。 東条藩の藩庁場所は…詳細を見る -
北条藩/水野家1万5千石:水野忠見 上総国鶴牧藩に移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 北条藩 【説明】 享保10年(1725年)10月、「水野忠定」が信濃国から安房北条に1万2000石で移封され北条藩が立藩される。享保20年(1735年)6月、丹波国内にて3000石を加増され、都合1万…詳細を見る -
長尾藩/本多家4万石:本多正訥 徳川家の駿河転封に伴い国替えにて立藩【幕末維新写真館】
【藩名】 長尾藩 【説明】 慶応4年(1868年)5月、謹慎した「徳川慶喜」の跡を継いだ徳川宗家「徳川家達」は新政府から駿府藩主として存続を認められ、70万石の領主として駿河・遠江に入封する。この移封に伴い、駿…詳細を見る -
館山藩/稲葉家1万石:稲葉正巳 幕府要職を歴任した名君を排出した館山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 館山藩 【説明】 寛政元年(1789年)7月、「稲葉正明」は隠居して嫡子の「稲葉正武」が後を継いだ。そして寛政3年(1791年)、城山の南麓に「館山陣屋」が建設されている。文化9年(1812年)3月に…詳細を見る -
安房勝山藩/酒井家1万2千石:酒井忠美 戊辰戦争では一部の藩士が人見勝太郎の旧幕府軍遊撃隊に参加した安房勝山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 安房勝山藩 【説明】 安房勝山藩は現在の千葉県安房郡鋸南町勝山に藩庁を置いた藩である。いくつかの大名家を経て酒井氏(若狭小浜藩分家)が藩主となり、明治維新まで9代にわたって存続した。安房勝山藩の石高は…詳細を見る -
赤沼藩(赤松藩)/内藤家1万5千石:内藤正友 信濃国岩村田藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 赤沼藩(赤松藩) 【説明】 内藤正勝は武蔵国比企郡をはじめ、常陸国・下総国・上野国・上総国などで5000石を領していた。元禄6年(1693年)11月28日、正勝は大坂城番に転身したため、新たに摂津国や…詳細を見る -
六浦藩(武州金沢藩)/米倉家1万2千石:米倉昌言 戊辰戦争ではいち早く新政府軍に恭順【幕末維新写真館】
【藩名】 六浦藩(武州金沢藩) 【説明】 金沢文庫で知られる久良岐郡金沢付近の六浦に陣屋を置いたため「武州金沢藩」や「武蔵金沢藩」とも呼ばれる。藩庁は六浦陣屋に置かれた。慶応3年(1867年)末、横須賀製鉄所の…詳細を見る -
喜多見藩/喜多見家2万:喜多見重勝 一族の刃傷沙汰に連座して改易の上廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 喜多見藩 【説明】 天正18年(1590年)の「小田原征伐」で北条氏が敗北すると、「江戸勝忠」は「徳川家康」の家臣となり、姓を喜多見に改め、以降は喜多見勝忠と名乗った。貞享2年(1685年)に将軍の側…詳細を見る -
鳩ヶ谷藩/阿部家3万石:阿部正次 上総国大多喜藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 鳩ヶ谷藩 【説明】 小田原征伐後、関東に入封した「徳川家康」は、譜代の家臣「阿部正勝」に鳩ヶ谷で5000石を与えた。慶長5年(1600年)4月に正勝は大坂で死去し、後を子の「阿部正次」が継いだ。正次は…詳細を見る -
一宮藩/加納家1万3千石:加納久宜 幕末時は新政府軍に恭順した一宮藩【幕末維新写真館】
【藩名】 上総一宮藩 【説明】 第4代藩主「加納久宜」は「戊辰戦争」のとき、新政府側に与した。当初は鳥羽伏見の戦いに参戦するため海路京都へと向かったが、途中大時化にあい断念した。明治2年(1869年)の「版籍奉…詳細を見る -
原市藩/西尾家1万2千石:西尾忠永 上野国白井藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 原市藩 【説明】 小田原征伐後に関東に入封した「徳川家康」は、尾張国出身の譜代の家臣「西尾吉次」に5000石を与えた。慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」でも戦功を挙げた吉次は、慶長7年(1602…詳細を見る -
武蔵小室藩/伊奈家1万3千石:伊奈忠勝 忠勝が夭折したため無嗣断絶にて廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 武蔵小室藩 【説明】 豊臣秀吉による「小田原征伐」後、関東に入封した「徳川家康」は、譜代の家臣「伊奈忠次」に小室1万3000石を与えた。これが小室藩の立藩である。(現在の伊奈氏館跡) 忠…詳細を見る
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