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成羽藩/山崎家1万2千石:山崎治敏 幕末に藩領を見直され1万2千石あまりとなり再立藩した成羽藩【幕末維新写真館】
【藩名】 成羽藩 【説明】 元和3年(1617年)、因幡若桜藩より「山崎家治」が3万石にて移封となり成羽藩が立藩される。それまで鶴首城を主城としていたが新たに成羽城を築き周辺の整備も行った。寛永15年(1638…詳細を見る -
新見藩/関家1万8千石:関長克 岡山藩と共に備中松山藩征伐に赴いた新見藩【幕末維新写真館】
【藩名】 新見藩 【説明】 元禄10年(1697年)、宗家の美作津山藩森家の廃藩に伴い、親族である「関長治」が美作宮川藩より移り新見藩を立藩した。初代藩主「長治」は新見の地に陣屋を構えて町を整備し、石高は1万8…詳細を見る -
児島藩/池田家2万石:池田恒元 山﨑藩主が不在のため山﨑へ移封となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 児島藩 【説明】 児島藩は岡山藩の支藩で、備前から備中南部に領地を有していた。岡山藩主「池田光政」が、慶安元年(1648年)3月19日に岡山藩領の一部を弟の「池田恒元」に分け与えて児島藩が立藩された。…詳細を見る -
吉永藩/加藤家2万石:加藤明友 加増の上水口藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 吉永藩 【説明】 吉永藩は「加藤明友」が近江水口藩に転封する前に治めていた藩である。島根県大田市周辺で1万石を領有し吉永に陣屋を構えた。寛永20年(1643年)5月、父「加藤明成」が陸奥会津藩40万石…詳細を見る -
鶴田藩/松平家2万8千石:松平武聰 旧浜田藩主松平武聰が長州藩に追われ飛地まで撤退して立藩【幕末維新写真館】
【藩名】 鶴田藩 【説明】 鶴田藩は幕末から明治初頭まで存在した藩で藩庁は鶴田陣屋に置かれた。慶応2年(1866年)の第二次長州征伐の際、長州藩の「大村益次郎」引きいる南園隊を中心とした長州軍に完敗して松江城に…詳細を見る -
美作宮川藩(津山藩支藩)/関家1万8700石:関長治 本藩である津山藩の廃藩に伴い新見藩へ移封となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 美作宮川藩(津山藩支藩) 【説明】 宮川藩は津山藩の支藩である。津山藩第2代藩主「森長継」の弟の「関長政」が1万8700石を分知され立藩する。元禄10年(1697年)、津山藩森家の廃藩に伴い、第2代藩…詳細を見る -
津山新田藩(津山藩支藩)/森家1万石:森長基 病と偽り江戸へ参府を怠ったため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 津山新田藩(津山藩支藩) 【説明】 貞享3年(1686年)、津山藩3代藩主「森長武」が甥の「森長成」に藩主を譲った際、蔵米2万俵を与えられて立藩した。元禄9年(1696年)、長武の養嗣子となった「長基…詳細を見る -
美作勝山藩/三浦家2万3千石:三浦顕次 譜代大名だが佐幕同盟を脱して新政府に従った勝山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 美作勝山藩 【説明】 明和元年(1764年)、譜代大名の「三浦明次」が三河国西尾藩より転封となり立藩された。真島郡内の96村と大庭郡内の1村を与えられ2万3千石で立藩だった。高田城を藩庁としたため当初…詳細を見る -
母里藩(松江藩支藩)/松平家1万石:松平直哉 第一次長州征伐では消極的な態度に終始した母里藩【幕末維新写真館】
【藩名】 母里藩(松江藩支藩) 【説明】 母里藩は江戸時代中期までは神戸藩と呼ばれたが安来市伯太町西母里の母里陣屋に藩庁が置かれたことから母里藩と呼ばれた。寛文6年(1666年)4月29日、松平家松江藩初代藩主…詳細を見る -
広瀬藩(松江藩支藩)/松平家3万石:松平直巳 幕末では佐幕派と勤皇派で混乱した広瀬藩【幕末維新写真館】
【藩名】 広瀬藩(松江藩支藩) 【説明】 広瀬藩はかつての出雲国の中心地で現在の安来市広瀬地区に広瀬陣屋に藩庁が置かれていた。寛文6年(1666年)、松平家松江藩初代藩主「直政」の次男「近栄」が3万石を分与され…詳細を見る -
松江新田藩(松江藩支藩)/松平家1万石:松平近憲 本藩を継いだため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 松江新田藩(松江藩支藩) 【説明】 松江新田藩は、江戸時代中期にあった松江藩の新田分知による支藩である。元禄14年(1701年)松平家松江藩2代藩主「綱隆」の次男「近憲」が1万石を分与され立藩した。近…詳細を見る -
矢橋藩/市橋家2万1300石:市橋長勝 越後三条藩へ加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 矢橋藩 【説明】 「中村一忠」が伯耆米子藩に入封したとき、八橋には一族の「中村一栄」が入部した。しかし慶長14年(1609年)に「中村一忠」が死去して中村氏が改易されると、伯耆国には諸大名が分散配置さ…詳細を見る -
黒坂藩/関家5万石:関一政 家中の内紛により改易・廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 黒坂藩 【説明】 慶長14年(1609年)に「中村一忠」が死去して中村氏が改易されると、伯耆国には諸大名が分散されて配置されることになる。そして翌年、伊勢亀山藩から「関一政」が2万石加増の上の5万石で…詳細を見る -
倉吉藩/里見家3万石:里見忠義 名門里見氏が安房国から移封され立藩された倉吉藩【幕末維新写真館】
【藩名】 倉吉藩 【説明】 里見氏は安房国の戦国大名「里見義堯」を祖とする外様大名であり、戦国時代末期「里見忠義」は館山藩主として安房一国ならびに常陸国鹿島郡の12万2000石を領していた。慶長19年(1614…詳細を見る -
米子藩/加藤家6万石:加藤貞泰 伊予大洲藩へ加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 米子藩 【説明】 慶長14年(1609年)5月11日、「中村一忠」は20歳の若さで急死した。一忠には3人の子供がいたが領国の継承は認められず中村氏は改易となった。慶長15年(1610年)7月19日、美…詳細を見る -
若桜藩/池田家2万石:池田徳定 鳥取藩宗家とともに新政府軍に与した若桜藩【幕末維新写真館】
【藩名】 若桜藩 【説明】 豊臣政権時代は「木下重堅」が若桜城主であったが、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍に属し、敗戦とともに自害した。慶長6年(1601年)、摂津国三田藩より「山崎家盛」が3万石で…詳細を見る -
鹿奴藩(鳥取藩支藩、鳥取東館新田藩)/池田家3万石:池田徳澄 戊辰戦争では本家鳥取藩と共に新政府軍に与した鹿奴藩【幕末維新写真館】
【藩名】 鹿奴藩(鳥取藩支藩、鳥取東館新田藩) 【説明】 鹿奴藩は鹿野藩「鳥取東館新田藩」ともいう。同地には以前の領主である亀井氏による「鹿野藩」も存在していたため混同される。貞享2年(1685年)に鳥取藩主「…詳細を見る -
村岡藩/山名家1万1千石:山名義路 当主自ら尊王論者で新政府軍に従属した村岡藩【幕末維新写真館】
【藩名】 村岡藩 【説明】 「山名豊国」は秀吉に仕えて御伽衆となり、秀吉の死後は「徳川家康」に接近した。「関ヶ原の戦い」では東軍に参加し戦功があり家康からの「但馬国で一郡を領し給え」との言葉を賜り但馬国七美郡6…詳細を見る -
豊岡藩/京極家1万5千石:京極高厚 生野の変では幕府軍に協力して平野国臣らを捕縛した豊岡藩【幕末維新写真館】
【藩名】 豊岡藩 【説明】 豊岡城2万石の領主であった「杉原長房」は、慶長5年(1600年)、「関ヶ原の戦い」において石田三成率いる西軍に属した。しかし妻が「浅野長政」の娘だったため長政の取り成しで旧領を安堵さ…詳細を見る -
清富藩/宮城家1万3千石:宮城豊嗣 無嗣断絶のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 清富藩 【説明】 「宮城豊盛」は豊臣秀吉のもとで豊後国日田郡の代官を務めていたが、「関ヶ原の戦い」で西軍についたため改易される。しかし、養嗣子の頼久が実兄の「山崎家盛」から二方郡内に6000石を分知さ…詳細を見る
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