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船形藩/平岡家1万石:平岡道弘 版籍奉還に先だって自ら廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 船形藩 【説明】 元治元年(1864年)10月、「平岡道弘」は加増を受けて1万石の大名に列し「船形藩」が立藩された。翌、慶応元年(1865年)には船形村で陣屋建設を開始している。 明治元年(18…詳細を見る -
安房三枝藩/三枝家1万石:三枝守昌 家督相続した守全が兄弟へ分与のため旗本となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 安房三枝藩 【説明】 「三枝守昌」は「関ヶ原の戦い」や「大坂の陣」において武功を挙げ、「徳川忠長」に仕えて1万5千石を与えられたが、忠長改易に連座して失脚したという。その後、再び幕臣として召し出されて…詳細を見る -
花房藩/西尾家3万5千石:西尾忠篤 徳川宗家の駿河移封の替地として横須賀藩から転封した西尾氏【幕末維新写真館】
【藩名】 花房藩 【説明】 明治元年(1868年)、遠江国「横須賀藩主」であった「西尾忠篤」が、安房長狭郡花房村に3万5千石をもって入部し「花房藩」が立藩された。これは徳川宗家が江戸から「静岡藩」へ移封されたこ…詳細を見る -
東条藩(西郷氏館跡)/西郷家1万8千石:西郷寿員 下野上田藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 東条藩 【説明】 元和6年(1620年)9月、下総国生実で5,000石を知行していた旗本「西郷正員」は、安房国への転封・加増を受けて1万石の大名となり、「東条藩」を立藩した。 東条藩の藩庁場所は…詳細を見る -
北条藩/水野家1万5千石:水野忠見 上総国鶴牧藩に移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 北条藩 【説明】 享保10年(1725年)10月、「水野忠定」が信濃国から安房北条に1万2000石で移封され北条藩が立藩される。享保20年(1735年)6月、丹波国内にて3000石を加増され、都合1万…詳細を見る -
長尾藩/本多家4万石:本多正訥 徳川家の駿河転封に伴い国替えにて立藩【幕末維新写真館】
【藩名】 長尾藩 【説明】 慶応4年(1868年)5月、謹慎した「徳川慶喜」の跡を継いだ徳川宗家「徳川家達」は新政府から駿府藩主として存続を認められ、70万石の領主として駿河・遠江に入封する。この移封に伴い、駿…詳細を見る -
館山藩/稲葉家1万石:稲葉正巳 幕府要職を歴任した名君を排出した館山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 館山藩 【説明】 寛政元年(1789年)7月、「稲葉正明」は隠居して嫡子の「稲葉正武」が後を継いだ。そして寛政3年(1791年)、城山の南麓に「館山陣屋」が建設されている。文化9年(1812年)3月に…詳細を見る -
安房勝山藩/酒井家1万2千石:酒井忠美 戊辰戦争では一部の藩士が人見勝太郎の旧幕府軍遊撃隊に参加した安房勝山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 安房勝山藩 【説明】 安房勝山藩は現在の千葉県安房郡鋸南町勝山に藩庁を置いた藩である。いくつかの大名家を経て酒井氏(若狭小浜藩分家)が藩主となり、明治維新まで9代にわたって存続した。安房勝山藩の石高は…詳細を見る -
赤沼藩(赤松藩)/内藤家1万5千石:内藤正友 信濃国岩村田藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 赤沼藩(赤松藩) 【説明】 内藤正勝は武蔵国比企郡をはじめ、常陸国・下総国・上野国・上総国などで5000石を領していた。元禄6年(1693年)11月28日、正勝は大坂城番に転身したため、新たに摂津国や…詳細を見る -
六浦藩(武州金沢藩)/米倉家1万2千石:米倉昌言 戊辰戦争ではいち早く新政府軍に恭順【幕末維新写真館】
【藩名】 六浦藩(武州金沢藩) 【説明】 金沢文庫で知られる久良岐郡金沢付近の六浦に陣屋を置いたため「武州金沢藩」や「武蔵金沢藩」とも呼ばれる。藩庁は六浦陣屋に置かれた。慶応3年(1867年)末、横須賀製鉄所の…詳細を見る -
喜多見藩/喜多見家2万:喜多見重勝 一族の刃傷沙汰に連座して改易の上廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 喜多見藩 【説明】 天正18年(1590年)の「小田原征伐」で北条氏が敗北すると、「江戸勝忠」は「徳川家康」の家臣となり、姓を喜多見に改め、以降は喜多見勝忠と名乗った。貞享2年(1685年)に将軍の側…詳細を見る -
鳩ヶ谷藩/阿部家3万石:阿部正次 上総国大多喜藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 鳩ヶ谷藩 【説明】 小田原征伐後、関東に入封した「徳川家康」は、譜代の家臣「阿部正勝」に鳩ヶ谷で5000石を与えた。慶長5年(1600年)4月に正勝は大坂で死去し、後を子の「阿部正次」が継いだ。正次は…詳細を見る -
一宮藩/加納家1万3千石:加納久宜 幕末時は新政府軍に恭順した一宮藩【幕末維新写真館】
【藩名】 上総一宮藩 【説明】 第4代藩主「加納久宜」は「戊辰戦争」のとき、新政府側に与した。当初は鳥羽伏見の戦いに参戦するため海路京都へと向かったが、途中大時化にあい断念した。明治2年(1869年)の「版籍奉…詳細を見る -
原市藩/西尾家1万2千石:西尾忠永 上野国白井藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 原市藩 【説明】 小田原征伐後に関東に入封した「徳川家康」は、尾張国出身の譜代の家臣「西尾吉次」に5000石を与えた。慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」でも戦功を挙げた吉次は、慶長7年(1602…詳細を見る -
武蔵小室藩/伊奈家1万3千石:伊奈忠勝 忠勝が夭折したため無嗣断絶にて廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 武蔵小室藩 【説明】 豊臣秀吉による「小田原征伐」後、関東に入封した「徳川家康」は、譜代の家臣「伊奈忠次」に小室1万3000石を与えた。これが小室藩の立藩である。(現在の伊奈氏館跡) 忠…詳細を見る -
石戸藩/牧野家1万1千石:牧野信成 下総国関宿藩に加増移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 石戸藩 【説明】 石戸藩は、現在の埼玉県上尾市北西部から鴻巣市南西部にかけてを統治した藩である。領内の川田谷(現在の桶川市川田谷)に陣屋を設置した。 石戸藩祖は「牧野信成」である。牧野氏には同姓…詳細を見る -
久喜藩/米津家1万1千石:米津通政 出羽長瀞藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 久喜藩 【説明】 譜代大名の「米津政武」が武蔵国久喜に領地を与えられ陣屋を設置し久喜藩が立藩される。 寛政10年(1798年)7月、5代藩主「米津通政」が武蔵国内の所領6400石を出羽国村山郡内…詳細を見る -
高坂藩(掛塚藩)/加賀爪家1万3千石:加賀爪直清 成瀬家との領地争いにより廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高坂藩(掛塚藩) 【説明】 「加々爪忠澄」は「関ヶ原の戦い」、「大坂の陣」で武功を挙げたため、加増を受けて寛永10年(1633年)に9500石を与えられた。忠澄の後を継いだ「加々爪直澄」は「徳川家光」…詳細を見る -
野本藩/渡辺家1万3千5百石:渡辺基綱 大庭寺藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 野本藩 【説明】 野本藩初代藩主の「渡辺吉綱」は「槍半蔵(渡辺守綱)」の孫で4代将軍「徳川家綱」の側用人を務めたのち、寛文元年(1661年)に大坂定番となり、河内・和泉両国に1万石を加増されて大名に列…詳細を見る -
武蔵松山藩/松平家3万石:松平忠頼 遠江国浜松藩に加増移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 武蔵松山藩 【説明】 「豊臣秀吉」の「北条征伐」後に「徳川家康」が関東入国すると、天正18年(1590年)に「松平家広」が武蔵松山1万石を与えられて武州松山藩を立藩した。のちに3万石に加増された。しか…詳細を見る
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