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高瀬藩(熊本藩支藩)/細川家3万5千石:細川利永 幕府に従順だったが無事に幕末を乗り切った高瀬藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高瀬藩(熊本藩支藩) 【説明】 肥後新田藩は熊本藩の支藩で、寛文6年(1666年)熊本藩3代藩主「細川綱利」の弟「細川利重」が熊本藩の蔵米より3万5千石を分与され立藩した。江戸鉄砲洲に住み参勤交代を行…詳細を見る -
富江藩(五島藩支藩)/五島家3千石:五島盛明 幕末期に本藩である福江藩に併呑されかけたが農民一揆が勃発した富江藩【幕末維新写真館】
【藩名】 富江藩(五島藩支藩) 【説明】 五島氏第23代目当主「五島盛次」の弟「五島盛清(富江五島家初代当主)」が、寛文元年(1661年)、宗家「福江藩」より分与して富江藩が成立した。そして政庁として富江陣屋が…詳細を見る -
大村藩/大村家2万7千石:大村純熈 鳥羽・伏見の戦い直前に大津を抑え幕府軍の援軍を防いだ大村藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大村藩 【説明】 第12代当主「大村純忠」は、天正15年(1587年)の「豊臣秀吉」の九州平定に長子「大村喜前」を従軍させ、戦後の九州論功行賞で領地を安堵された。喜前は「関ヶ原の戦い」では東軍に属し徳…詳細を見る -
鹿島藩(佐賀藩支藩)/鍋島家2万5千石:鍋島直彬 本藩の佐賀藩と行動をともにし新政府軍に従った鹿島藩【幕末維新写真館】
【藩名】 鹿島藩(佐賀藩支藩) 【説明】 鹿島藩は鹿島(佐賀県鹿島市)周辺を領有した佐賀藩の支藩である。佐賀藩の初代藩主「鍋島勝茂」の弟「忠茂」が慶長16年(1610年)、佐賀藩より2万石分与され元々領していた…詳細を見る -
平戸新田藩(平戸藩支藩)/松浦家1万石:松浦脩 新政府の要請により上洛し恭順【幕末維新写真館】
【藩名】 平戸新田藩(平戸藩支藩) 【説明】 平戸新田藩は平戸藩の支藩で、藩庁は館山(長崎県平戸市)に陣屋を構えた。平戸館山藩とも言われている。元禄2年(1689年)、平戸藩5代藩主棟の弟「昌」が1万石を分与さ…詳細を見る -
松崎藩(久留米藩支藩)/有馬家1万石:有馬豊祐 親族の窪田藩主土方雄隆継嗣問題に巻き込まれて廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 松崎藩(久留米藩支藩) 【説明】 松崎藩は江戸時代前期に存在した久留米藩の支藩である。藩庁は筑後国御原郡松崎(福岡県小郡市松崎)の松崎陣屋に置かれていた。寛文8年(1668年)、久留米藩第3代藩主「有…詳細を見る -
東蓮寺藩(福岡藩支藩)/黒田家4万石:黒田長寛 子がなく無嗣断絶となり廃藩 【幕末維新写真館】
【藩名】 東蓮寺藩(福岡藩支藩) 【説明】 東蓮寺藩(直方藩)は、福岡藩の支藩として藩庁は東蓮寺(福岡県直方市)に置かれ陣屋が置かれた。第1次東蓮寺藩は元和9年(1623年)、黒田長政の四男「黒田高政」が福岡藩…詳細を見る -
立石藩/木下家5千石:木下俊清 幕末時は本藩日出藩と共に行動をした立石藩【幕末維新写真館】
【藩名】 立石藩 【説明】 「木下延俊」は豊後日出藩主として入封したが、後継者が男子が二人いた。息子の「俊治」と「延由」である。両人は同年の生まれで、共に側室の生んだ子なのでどちらが家督を相続してもおかしくない…詳細を見る -
佐伯藩/毛利家2万石:毛利高謙 早くから藩主が勤王派で鳥羽伏見の戦い後に恭順した佐伯藩【幕末維新写真館】
【藩名】 佐伯藩 【説明】 文禄3年(1594年)「毛利高政」が、蔵入地の代官として治めていた豊後国玖珠郡角牟礼城と、「宮城豊盛」が治めていた同国日田郡日隈城の2万石を与えられて入封する。 幕末、…詳細を見る -
森藩/久留島家1万2500石:久留島通靖 来島水軍の末裔で大政奉還後いち早く新政府軍に与した森藩【幕末維新写真館】
【藩名】 森藩 【説明】 瀬戸内海で村上水軍の一軍として活躍した来島水軍の後裔である「来島長親(康親)」は伊予国来島(愛媛県今治市)に1万4千石を領していた。慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」では石田三成…詳細を見る -
日出藩/木下家3万石:木下俊愿 佐幕と勤皇で藩論が割れるが最終的には新政府軍に与した日出藩【幕末維新写真館】
【藩名】 日出藩 【説明】 藩祖は「豊臣秀吉」の正室「高台院(ねね)」の兄「木下家定」の三男である「木下延俊」である。慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」のとき、東軍として活躍した功績により「徳川家康」から…詳細を見る -
千束藩(小倉藩支藩)/小笠原家1万石:小笠原貞正 小倉藩宗家とともに長州藩と戦うも惨敗し熊本藩領まで逃れた千束藩【幕末維新写真館】
【藩名】 千束藩(小倉藩支藩) 【説明】 千束藩は小倉藩の支藩で当初は小倉新田藩と称した。寛文7年(1667年)、小倉藩2代藩主「小笠原忠雄」の藩主就任時、弟の真方が1万石を領内に分与されて立藩した。藩主は参勤…詳細を見る -
小倉藩/小笠原家15万石:小笠原忠忱 幕長戦争(四境戦争)では小倉口を担当した高杉晋作に惨敗し落城 藩庁を移転した小倉藩【幕末維新写真館】
【藩名】 小倉藩 【説明】 慶長5年(1600年)、「関ヶ原の戦い」で「細川忠興」は「徳川家康」率いる東軍に与して戦い、丹後国田辺城では父「細川幽斎」が勅命により講和するまで西軍に頑強に抵抗した(田辺城の戦い)…詳細を見る -
土佐新田藩(土佐藩支藩)/山内家1万3千石:山内豊誠 本藩とともに戊辰戦争を戦ったため恩賞を下賜された土佐新田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 土佐新田藩(土佐藩支藩) 【説明】 土佐新田藩は土佐藩の支藩で、江戸時代後期の安永9年(1780年)に中村藩系の「山内豊産」が1万3000石を本藩より分与され立藩した。藩主は参勤交代を行わない定府大名…詳細を見る -
伊予吉田藩(宇和島藩支藩)/伊達家3万石:伊達宗敬 幕末時は本家宗城と不仲だったため佐幕派だった吉田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 伊予吉田藩(宇和島藩支藩) 【説明】 明暦3年(1657年)7月21日、宇和島藩の初代藩主「伊達秀宗」の五男「宗純」が本藩より3万石を分知されて立藩した支藩である。三河国の吉田藩と区別するため伊予吉田…詳細を見る -
新谷藩(大洲藩支藩)/加藤家1万石:加藤泰令 幕末には中江藤樹が農兵隊を組織し「郷組」として戊辰戦争へ参戦した新谷藩【幕末維新写真館】
【藩名】 新谷藩(大洲藩支藩) 【説明】 新谷藩は大洲藩の支藩として新谷(大洲市内)に新谷陣屋が置かれた。元和9年(1623年)、大洲藩2代藩主「加藤泰興」の弟「直泰」が幕府より1万石分与の内諾を得て成立した。…詳細を見る -
大洲藩/加藤家6万石:加藤泰秋 早くから勤王の藩として鳥羽伏見の戦いにも参戦した大洲藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大洲藩 【説明】 江戸時代初期の大洲は「藤堂高虎」の所領であり、大洲城主として丹羽長秀の子で高虎の養子の「藤堂高吉」が在城した。慶長13年(1608年)、高虎は伊勢国津藩に転封となったが、大洲の地は高…詳細を見る -
松山新田藩(伊予松山藩支藩)/松平家1万石:松平定静 宗家伊予松山藩を継いだため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 松山新田藩(伊予松山藩支藩) 【説明】 松山新田藩は、江戸時代中期に存した松山藩の支藩である。石高は1万石で松平家4代「松平定直」の子「定章」が享保5年(1720年)に桑村郡・越智郡の一部を新田分知さ…詳細を見る -
小松藩/一柳家1万石:一柳頼明 戊辰戦争では新政府軍に加わり北越戦争を戦った小松藩【幕末維新写真館】
【藩名】 小松藩 【説明】 伊予国東部には、西から小松藩・西条藩・川之江藩(小野藩)と一柳家の兄弟の所領が連なることとなったが、寛永19年(1642年)に小野藩の直家が没すると伊予国内の所領1万8600石が幕府…詳細を見る -
阿波富田藩(徳島藩支藩)/蜂須賀家5万石:蜂須賀正員 本藩の養子となったため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 阿波富田藩(徳島藩支藩) 【説明】 富田藩は、徳島藩の支藩として江戸時代中期に存在した藩である。延宝6年(1678年)に「蜂須賀隆重」が徳島藩5代藩主「蜂須賀綱矩」より5万石の分与を得て、名東郡富田(…詳細を見る
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