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奥殿藩/松平家1万6千石:松平乗謨 信濃国佐久郡田野口へ移転し龍岡五稜郭建造のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 奥殿藩 【説明】 第7代藩主となった奥殿藩主「松平乗利」は有能な名君で、文武を奨励して演武場、藩校・明徳館などを創設している。天保4年(1833年)の凶作時には、窮民に対する救済も万全に行なうなど、他…詳細を見る -
伊保藩/本多家1万5千石:本多忠晴 遠江相良藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 伊保藩 【説明】 慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で東軍に与した岩崎城7000石の領主である「丹羽氏次」は、戦後に恩賞として3000石を加増されたことから1万石の大名として伊保藩を立藩した。氏…詳細を見る -
足助藩/本多家7千石:本多忠陳 1万石大名となるが勤務怠慢のため減封となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 足助藩 【説明】 徳川四天王で有名な「本多忠勝」の孫「本多忠義」の五男である「本多忠周」は加茂郡足助村に陣屋を置き7000石の交代寄合となった。忠周は天和3年(1683年)に寺社奉行となったことから3…詳細を見る -
畑村藩(大垣新田藩)/戸田家1万石:戸田氏良 戊辰戦争では北越戦争にも従軍した大垣新田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 畑村藩(大垣新田藩) 【説明】 元禄元年(1688年)7月、「戸田氏利」の後を継いだ「戸田氏成」のときに兄の戸田氏定から美濃国内の新田3000石を分与され、さらに養父の氏利の所領と渥美郡内の新田分を合…詳細を見る -
新城藩/菅沼家7千石:菅沼定長 大坂定番や海軍奉行を歴任した幕末の新城藩主 菅沼定長【幕末維新写真館】
【藩名】 新城藩 【説明】 菅沼の初代領主「菅沼定実」の時代に、川舟の中継地点として栄える基盤が整えられた。第11代当主「菅沼定長」は幕末期において、大番頭、大坂城在番、海軍奉行並などを歴任し、慶応3年(186…詳細を見る -
作手藩/松平家1万7千石:松平忠明 伊勢亀山藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 作手藩 【説明】 「奥平信昌」と「徳川家康」の長女「亀姫」との間に生まれた四男の「松平忠明」は、外祖父家康の養子となって松平姓を名乗ること、兄である「松平家治」の遺領、上野国長根に7000石を領した。…詳細を見る -
半原藩/安部家2万2250千石:安部信発 武蔵岡部陣屋から半原陣屋へと藩庁を移した幕末の藩主 安部信発【幕末維新写真館】
【藩名】 半原藩 【説明】 半原藩は岡部藩が慶応4年(1868年)4月に藩庁所在地を三河国八名郡半原村(現在の愛知県新城市富岡)に移転したことによって成立した藩である。岡部藩安部氏は元々、武蔵国岡部に陣屋を置く…詳細を見る -
吉田藩(豊橋藩)/松平家7万石:松平信古 尾張藩の斡旋にて新政府軍に恭順し伊予吉田藩と同名のため豊橋藩へ改名【幕末維新写真館】
【藩名】 吉田藩(豊橋藩) 【説明】 寛延2年(1749年)、「松平信復(信祝の子)」が7万石で入封し藩主家が定着する。第5代藩主「松平信順」は大坂城代・京都所司代を歴任した後の天保8年(1837年)5月16日…詳細を見る -
西端藩/本多家1万500石:本多忠鵬 いち早く新政府軍に与して陣屋を官軍へ提供した西瑞藩【幕末維新写真館】
【藩名】 西端藩 【説明】 元治元年(1864年)、第10代領主「本多忠寛」が江戸警備の功績などにより1万500石への高直しを許され、ここに本多氏は大名となり西端藩を立藩した。慶応3年(1867年)5月20日に…詳細を見る -
西大平藩/大岡家1万石:大岡忠敬 鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍が敗れると新政府軍に恭順した西大平藩【幕末維新写真館】
【藩名】 西大平藩 【説明】 将軍「徳川吉宗」の信任を受け江戸南町奉行として「享保の改革」を実行した「大岡忠相」が寛延元年(1748年)、奏者番に就任し、それまでの功績により4000石の加増を受けて西大平藩1万…詳細を見る -
岡崎藩/本多家5万石:本多忠民 幕末時に佐幕派・尊皇派に分裂した岡崎藩【幕末維新写真館】
【藩名】 岡崎藩 【説明】 岡崎藩第5代藩主「本多忠民」は財政改革を行ない、農村有力者と協力して藩政再建に当たった。一方で忠民は京都所司代・老中として幕末の幕政に参与し、公武合体に尽力した。しかしこのため、藩内…詳細を見る -
大給藩/松平家1万2千石:松平乗真 藩庁が手狭となったため奥殿へ移転した大給藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大給藩 【説明】 大給松平家は「徳川家康」の5代前の松平家当主「松平親忠」の次男「松平乗元」より始まり代々松平宗家に譜代の家臣として仕えた。第5代当主「松平真乗」の次男で「徳川秀忠」に仕えた「松平真次…詳細を見る -
重原藩/板倉家2万8千石:板倉勝達 奥羽越列藩同盟に加盟したため減封の上三河国へ移封となり重原藩を立藩【幕末維新写真館】
【藩名】 重原藩 【説明】 重原藩領は元々刈谷藩の領内だったが、寛政2年(1790年)、刈谷藩第3代藩主「土井利制」の時代に「寛政一揆」が発生した。この責任を取らされて1万3000石を陸奥福島藩との間で領地替え…詳細を見る -
挙母藩/内藤家2万石:内藤文成 戊辰戦争では新政府軍に駿府警護のため一小隊を派遣した挙母藩【幕末維新写真館】
【藩名】 挙母藩 【説明】 嘉永4年(1851年)、「井伊政優」に嗣子なく死去すると、井伊家から「井伊政文」が養子として迎えられ第6代藩主となった。安政6年(1859年)、洋式の軍政(英式銃陣法)が取り入れられ…詳細を見る -
遠江久野藩/北条家1万石:北条氏重 下総関宿へ加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 遠江久野藩 【説明】 慶長3年(1598年)、「松下之綱」が死去し、後を子の「松下重綱」が継いだ。重綱は「関ヶ原の戦い」においては徳川家康率いる東軍に与して大垣城の牽制に務め所領を安堵された。ところが…詳細を見る -
掛塚藩/加々爪家1万3千石:加々爪直清 旗本成瀬正章と争い所領没収の上改易【幕末維新写真館】
【藩名】 掛塚藩 【説明】 「加々爪忠澄」は「関ヶ原の戦い」「大坂の陣」で武功を挙げたため、加増を受けて、寛永10年(1633年)に9500石を与えられた。忠澄の後を継いだ「加々爪直澄」は「徳川家光」のもとで御…詳細を見る -
堀江藩/大沢家1万石:大沢基寿 明治維新のどさくさに紛れて諸侯に列した高家出身の堀江藩【幕末維新写真館】
【藩名】 堀江藩 【説明】 幕末から明治維新の頃の当主である第20代「大沢基寿」は、和宮親子内親王降嫁に際してはその付添役を務め、「徳川慶喜」の「大政奉還」ではその旨を朝廷に伝奏する重責をになう。さらに新政府軍…詳細を見る -
相良藩 /田沼家1万石:田沼意正 上総国小久保藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 相良藩 【説明】 天明6年(1786年)、将軍「徳川家治」が死去すると「松平定信」の粛清にあって「田沼意次」は失脚し強制的に隠居させられた。そして、意次の孫「田沼意明」が家督を継いだが、陸奥下村藩に1…詳細を見る -
横須賀藩 /西尾家2万5千石:西尾忠篤 譜代大名として佐幕派・尊皇派に分裂したが戊辰戦争時は尊皇で統一した横須賀藩【幕末維新写真館】
【藩名】 横須賀藩 【説明】 天和2年(1682年)、「本多利長」は江戸城にて罪状を読み上げられた上で横須賀藩を改易された。利長が改易されると信濃小諸藩より「西尾忠成」が2万5000石で入封した。幕末になると西…詳細を見る -
掛川藩/太田家5万石:太田資美 徳川家達の駿府70万石移封にて替地上総国柴山藩へ転封の上廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 掛川藩 【説明】 慶安元年(1648年)、「松平忠晴」が駿河国田中藩より3万石で入封したが、同年正月には丹波亀山藩に移された。代わって田中藩より北条氏重が3万石で入封したが、万治元年(1658年)に氏…詳細を見る
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