カテゴリー:史跡・銅像
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仇討時の吉良上野介義央(きらこうずけのすけ)の屋敷跡は?【日本の歴史ブログ】
■ 日本の歴史ブログ 江戸中期に起きた仇討事件、吉良上野介義央(きらこうずけのすけ)の屋敷跡地は? 赤穂浪士の吉良邸討ち入りはあまりにも有名な話である。しかし、討ち入り当時の吉良家屋敷がどこにあったのかはあまり知…詳細を見る -
桜田門:水戸浪士らの襲撃で討たれた大老井伊直弼(桜田門外の変)【史跡 日本の歴史】
【史跡名】 桜田門 【桜田門の説明】 桜田門は江戸城の内堀に造られた門の一つである。 実は桜田門は2つあり、「内桜田門」と「外桜田門」に分かれている。 田安門、一ツ橋門、清水門、半蔵門などそれぞれの門に…詳細を見る -
権現台場:五稜郭と四稜郭を結ぶ重要な位置に築かれた権現台場【史跡 日本の歴史】
【史跡名】 権現台場 【権現台場の説明】 権現台場は函館東照宮を中心に建設された旧幕府軍の台場である。明治2年(1869年)4月、新政府軍の襲撃を予想していた榎本武揚率いる旧幕府軍は各地に台場や陣地を建設した。…詳細を見る -
三稜郭跡:五稜郭と四稜郭だけじゃない!!三稜郭の存在が浮上(比遅里神社内)【史跡 日本の歴史】
【史跡名】 三稜郭跡 【三稜郭跡の説明】 榎本脱走艦隊(蝦夷共和国)では新政府軍の襲撃に備えて各地で砲台や陣屋の建設を急いだ。明治2年(1869年)、旧幕府軍は「弁天台場」の改修をはじめ、千代ヶ岡台場、権現台場…詳細を見る -
宮古湾海戦の碑:旧幕府軍「回天丸」が新政府軍旗艦「甲鉄艦」奪取を試みた海戦【史跡 日本の歴史】
【史跡名】 宮古湾海戦の碑 【宮古湾海戦の碑の説明】 明治2年(1869年)5月6日、榎本武揚率いる旧幕府軍は海軍力の劣っている穴を埋めるため宮古湾に停泊している新政府軍の旗艦「甲鉄艦」を奪取する斬り込み攻撃を…詳細を見る -
一本木関門跡:新選組結成から函館戦争の最後まで戦い抜いた新選組土方歳三最期の地碑【史跡 日本の歴史】
【史跡名】 一本木関門跡(土方歳三最期の地碑) 【一本木関門跡(土方歳三最期の地碑)の説明】 京都で新選組を結成してから鳥羽伏見の戦いで敗れ江戸に帰還し、大鳥圭介ら旧幕府軍と北関東で戦い、さらには会津戦争にも参…詳細を見る -
八木邸跡:近藤勇・芹沢鴨・土方歳三が会津藩預かり新選組結成時の屯所 八木邸【史跡 日本の歴史】
【史跡名】 八木邸跡 【八木邸跡の説明】 近藤勇・芹沢鴨・土方歳三らが会津藩お預かりの新選組を結成した時に屯所としたのが八木邸である。当初は近藤派と芹沢派に割れていた新選組だが、土方らの策略により「芹沢鴨」は暗…詳細を見る -
お台場:幕末江戸湾海上防衛のため江川太郎左衛門が建設した砲台跡(第三台場・第六台場)【史跡 日本の歴史】
【史跡名】 お台場砲台跡 【お台場砲台跡の説明】 嘉永6年(1853年)、ペリー艦隊が日本に来航するとこれに驚いた徳川幕府は急遽江戸湾の防衛強化を急いだ。この頃、韮山代官の「江川太郎左衛門」が江戸湾砲台建設の提…詳細を見る -
千代ヶ岡陣屋(千代ヶ岡台場):函館戦争で壮絶な最期を迎えた中島三郎助終焉の地【史跡 日本の歴史】
【陣屋名】 千代ヶ岡陣屋(千代ヶ岡台場) 【千代ヶ岡陣屋(千代ヶ岡台場)の説明】 千代ヶ岡陣屋(千代ヶ岡台場)は函館市にある五稜郭の少し南に築かれた陣屋である。文化5年(1808年)、日露関係が緊迫した中、幕府…詳細を見る -
弁天台場跡:新政府軍からの函館湾防衛に用いられた旧幕府軍の弁天台場【史跡 日本の歴史】
【史跡名】 弁天台場跡 【説明】 弁天台場は箱館港の防衛拠点として1863年(文久3年)に完成した砲台である。 洋式城郭五稜郭を手掛けた「武田斐三郎」の設計により、徳川幕府が約8年の歳月をかけて建造した。 …詳細を見る -
坂本龍馬像(立会川):土佐藩邸跡に建立された坂本龍馬像【史跡 日本の歴史】
【史跡名】 坂本龍馬像(立会川) 【説明】 土佐藩邸跡に建立された坂本龍馬像 【坂本龍馬像(立会川)・アクセス・場所・地図】 〒140-0011 東京都品川区東大井2丁目25−22 …詳細を見る -
前田利家像:織田信長の家臣にて荒子城主でもあった前田利家像(荒子駅前)【史跡 日本の歴史】
【史跡名】 前田利家像 【説明】 荒子城主は兄の「前田利久」が継ぐ予定であったが織田信長の小姓であり、お気に入りでもあった利家が兄をさしのけて荒子城主に任命された。 前田家としても権力者信長の意に反することは…詳細を見る -
浅井長政・お市像:小谷城の麓 河毛駅前に建つ浅井長政・お市像【史跡 日本の歴史】
【史跡名】 浅井長政・お市像 【説明】 ※写真は小谷城麓に建立された浅井長政と妻のお市像 【浅井長政・お市像・アクセス・場所・地図】 〒529-0317 滋賀県長浜市湖北町山脇545 …詳細を見る -
練兵館跡:幕末の江戸三大道場の一つ神道無念流 斎藤弥九郎の練兵館【史跡 日本の歴史】
【史跡名】 練兵館跡 【説明】 練兵館(れんぺいかん)は、江戸の三大道場の一つに数えられた剣術道場である。 創始者は「斎藤弥九郎」で「神道無念流」という有名な流儀であった。 ちなみに、江戸の三大…詳細を見る -
新井白石:幕政に関与した上総国久留里藩出身の儒学者 新井白石【史跡 日本の歴史】
【史跡名】 新井白石銅像 【説明】 新井白石は江戸時代中期の学者である。白石は上総国久留里藩土屋家で生まれ育ったが、久留里藩主「直樹」の代に「直樹」の奇行により久留里藩は改易されてしまう。 ※久留里城 …詳細を見る -
一橋邸跡:御三卿の一つで最後の将軍徳川慶喜(一橋慶喜)を排出した名門一橋家屋敷跡【史跡 日本の歴史】
【史跡名】 一橋邸跡 【説明】 御三卿の一つ一橋家の屋敷は江戸城一橋門内(現在の千代田区大手町1丁目4番地付近)にあった。 御三卿とは御三家に次いで将軍職を受け継ぐことが出来る家柄のこと指し、「一橋家」「田安…詳細を見る -
山岡鉄太郎:勝海舟の使いにて西郷隆盛と会談 幕末の三舟の一人山岡鉄太郎(鉄舟)【史跡 日本の歴史】
【史跡名】 山岡鉄太郎銅像 【説明】 山岡鉄太郎(通称:鉄舟)は幕末の剣客にして禅・書も極めた人物として知られている。幼少期から武芸に励み北辰一刀流の門をたたく。その傍ら、庄内藩郷士「清河八郎」らとともに尊王攘…詳細を見る -
流山陣屋:近藤勇が盟友土方歳三と最後の別れとなった流山陣屋跡【日本の歴史 史跡(陣屋)】
【史跡名】 流山陣屋跡 【史跡の説明】 「鳥羽伏見の戦い」で薩摩藩・長州藩が主体の新政府軍に敗れた旧幕府軍や新選組は、惨憺たる思いでどうにか江戸へ帰還することが出来た。 近藤勇率いる新選組はその名を「甲陽…詳細を見る -
掃部山公園の名前の由来とは?日本を開国した井伊直弼【日本の歴史ブログ 史跡(銅像)】
■ 日本の歴史ブログ 掃部山公園に建つ日本を開国した井伊直弼像 掃部山公園(かもんやまこうえん)にそびえ立つ「井伊直弼」の銅像です。掃部山公園は「横浜みなとみらい」を見下ろす高台にあり、桜の名所としても有名な公園…詳細を見る -
井伊直政:彦根駅前 徳川四天王の一人 井伊直政像【日本の歴史 史跡(像)】
【史跡名】 徳川四天王の一人 井伊直政像 【史跡の説明】 井伊直政は徳川四天王の一人に数えられ、旧武田家の家臣団を多く抱えた「井伊の赤備え」で有名な武将である。 関ヶ原の戦いの戦功で近江(滋賀県)佐和山城主と…詳細を見る
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