カテゴリー:東海地方
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駿府藩(静岡藩)/徳川家70万石:徳川家達 徳川宗家の存続が認められ江戸城から駿河国へ移封され立藩【幕末維新写真館】
【藩名】 駿府藩(静岡藩) 【説明】 慶応3年(1867年)の「大政奉還」により、江戸幕府は滅亡した。慶応4年(1868年)1月の「鳥羽・伏見の戦い」で徳川幕府は新政府軍に敗れ、第15代将軍「徳川慶喜」は朝敵と…詳細を見る -
沼津藩/水野家5万8千石:水野忠敬 徳川家達の駿河移封により上総菊間藩へ移されて廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 沼津藩 【説明】 安永6年(1777年)11月6日、水野忠友が三河大浜藩より2万石で転封してきたことによる。第2代藩主「水野忠成」は「徳川家斉」の時代に老中となり、「賄賂政治」を行なった人物として有名…詳細を見る -
井伊谷藩/近藤家1万5千石:近藤秀用 一族へ所領分与のため旗本となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 井伊谷藩 【説明】 慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」後、「井伊直政」が戦傷が原因で死去すると、直政の家臣だった「近藤秀用」は「池田輝政」の仲介もあって「徳川家康」の直臣として召し出され、上野国…詳細を見る -
浜松藩/井上家6万石:井上正直 徳川家達が駿府70万石で移封となり上総鶴舞藩へ替地を賜った浜松藩【幕末維新写真館】
【藩名】 浜松藩 【説明】 天保5年(1834年)、「水野忠邦」は老中となったことから1万石の加増を受けて浜松7万石の大名となる。しかし、「天保の改革」に失敗したことから弘化2年(1845年)9月に2万石を減封…詳細を見る -
興国寺藩/天野家1万石:天野康景 藩内の軽卒をかばったため本多正信により改易され廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 興国寺藩 【説明】 豊臣秀吉の北条征伐により、徳川家康が関東に移ると豊臣家三中老の「中村一氏」が駿府城主として駿河14万5000石を領し、興国寺城には家臣の「河毛宗左衛門」が入った。慶長5年(1600…詳細を見る -
伊勢上野藩/分部家2万石:分部光信 近江大溝藩へ加増転封のため紀州藩領になり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 伊勢上野藩 【説明】 分部氏は戦国時代、伊勢国中部を領していた「長野豊藤」の五男「分部祐成」から始まる一族である。分部光嘉のとき、尾張の「織田信長」による伊勢侵攻が始まり光嘉は信長に恭順したため分部氏…詳細を見る -
犬山藩(尾張藩附家老)/成瀬家3万5千石:成瀬正肥 幕末の明治維新で尾張藩より独立した成瀬氏の犬山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 犬山藩(尾張藩附家老) 【説明】 元和3年(1617年)、「徳川義直」の附家老として「成瀬正成」が3万石で入封し、尾張藩を補佐する成瀬氏犬山藩が立藩された。第3代当主「成瀬正親」の時代に5000石の加…詳細を見る -
田丸藩/久野家1万石:久野純固 紀州藩付家老として幕末を無事に乗り切った田丸藩【幕末維新写真館】
【藩名】 田丸藩 【説明】 田丸藩は伊勢国に存在した藩で藩庁は田丸城にあった。遠江久野城城主であった「久野宗成」は駿府藩主であった「徳川頼宣」に付属させられ、頼宣の紀州転封に際し紀州へ移ってきた。頼宣は宗成に1…詳細を見る -
伊勢岩手藩/稲葉家4万5千700石:稲葉道通 関ヶ原の戦いの功により田丸藩へ加増転封となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 伊勢岩手藩 【説明】 「豊臣秀吉」の家臣で、斎藤道三や織田信長に仕えた西美濃三人衆の一人「稲葉良通(稲葉一鉄)」の孫で、一族の「牧村政倫」の養子となった「牧村利貞」は、小田原征伐後に2万石の所領を与え…詳細を見る -
雲出藩/蒔田家1万石:蒔田広定 関ヶ原の戦いでは西軍に与したがほどなく許され備中浅尾藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 雲出藩 【説明】 雲出城は「豊臣秀吉」の家臣の「蒔田広定」が1万石の大名としてこの地を治めていた。慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で石田三成の西軍に与した広定は、毛利秀元や吉川広家らと共に伊勢…詳細を見る -
伊勢林藩/織田家1万石:織田信重 家督相続を巡り改易された藩祖織田信包の林藩【幕末維新写真館】
【藩名】 伊勢林藩 【説明】 「織田信包」の長男「織田信重」は、慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で徳川家康率いる東軍に与したため、林1万石の所領を安堵され、林藩を立藩した。しかし実権は父の信包が握ってい…詳細を見る -
伊勢西条藩(南林崎藩)/有馬家1万石:有馬氏恕 上総国五井に陣屋を移転したため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 伊勢西条藩(南林崎藩) 【説明】 伊勢西条藩は、筑後久留米藩主家の分家であり、久留米藩初代藩主「有馬豊氏」の三男「有馬頼次」を藩祖とする。頼次は「徳川忠長」に仕えて1万石を得ていたが、忠長改易に伴って…詳細を見る -
八田藩/加納家1万3千石:加納久儔 飛地である上総国一宮へ陣屋移転のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 八田藩 【説明】 三河国出身の「加納久直」が徳川家康に仕えて紀州藩に属するのが始まりである。久直の孫「加納久通」は紀州藩主「徳川吉宗」の将軍就任に従って江戸城に入り、延享2年(1745年)に吉宗が隠居…詳細を見る -
久居藩(津藩支藩)/藤堂家5万8千700石:藤堂高邦 本藩に従い新政府軍に恭順した久居藩【幕末維新写真館】
【藩名】 久居藩(津藩支藩) 【説明】 寛文9年(1669年)、津藩の第2代藩主「藤堂高次」が隠居して家督を子の「藤堂高久」に譲ったとき、次男の「藤堂高通」に5万石を分与して津藩の支藩である久居藩を立藩した。築…詳細を見る -
菰野藩/土方家1万2千石:土方雄志 幕末では新政府軍に恭順し家名を保った菰野藩【幕末維新写真館】
【藩名】 菰野藩 【説明】 藩祖は「土方雄久」の長男「土方雄氏」である。雄氏は織田信雄、豊臣秀吉に仕えて伊勢菰野に1万石を領していたが、慶長4年(1599年)に徳川家康暗殺事件に巻き込まれて所領を没収され、常陸…詳細を見る -
美濃脇坂藩/脇坂家1万石:脇坂安信 池田家の世継ぎ分与問題の不始末により改易の上で廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 美濃脇坂藩 【説明】 「加藤清正」や「福島正則」と並ぶ賤ヶ岳の七本槍の一人として知られる「脇坂安治」の三男「脇坂安信」は「徳川家康」に仕えていた。大坂の陣では、「酒井忠世」と協力して多くの武功を挙げた…詳細を見る -
美濃長谷川藩/長谷川家1万石:長谷川守知 弟の守勝に分与したため旗本となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 美濃長谷川藩 【説明】 「長谷川宗仁」の子「長谷川守知」は織田信長、豊臣秀吉に仕えた。慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」では西軍に与して石田三成の居城である佐和山城に籠もっていたが、9月15日の…詳細を見る -
野村藩/戸田家1万3千石:戸田氏良 版籍奉還後に大垣新田藩から野村藩に改名【幕末維新写真館】
【藩名】 野村藩(大垣新田藩) 【説明】 慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で、織田長孝(織田有楽斎長益の長男)は東軍に与して戦功を挙げたため、大野などに1万石を与えられて野村藩を立藩した。だが、寛永8年…詳細を見る
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