カテゴリー:四国地方
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中村藩(土佐藩支藩)/山内家3万石:山内豊明 病気による若年寄辞職で将軍徳川綱吉の怒りを買い廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 中村藩(土佐藩支藩) 【説明】 江戸時代初期から中期にかけて3代33年間存在した藩で、明暦2年(1656年)土佐藩2代藩主「山内忠義」の二男「山内忠直」が幡多郡中村(四万十市)3万石を与えられ立藩した…詳細を見る -
土佐藩(高知藩)/山内家20万2600石:山内豊信(容堂)鳥羽・伏見の戦いから会津戦争など戊辰戦争を戦い抜いた土佐藩【幕末維新写真館】
【藩名】 土佐藩(高知藩) 【説明】 土佐藩は戦国時代の末期、掛川城主「山内一豊」が「関ヶ原の戦い」の功績により徳川家康から土佐一国を与えられた。前領主だった「長宗我部盛親」は改易とされた。特に藩内の身分が厳し…詳細を見る -
宇和島藩/伊達家10万石:伊達宗城 蒸気船を建造するなど西洋技術をいち早く取り入れたが戊辰戦争では新政府寄りの中立を保った宇和島藩【幕末維新写真館】
【藩名】 宇和島藩 【説明】 旗本山口家の出身で祖父「山口直清」が宇和島藩5代藩主「伊達村候」の次男だったことから養子に迎えられることになったのが幕末の名君と言われた「伊達宗城」である。宗城は前藩主からの殖産興…詳細を見る -
伊予松山藩/松平家15万石:松平定昭 鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍についたため朝敵となり追討軍を送られた松山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 伊予松山藩 【説明】 慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」にて東軍徳川氏に味方した「加藤嘉明」が20万石で立藩した。寛永4年(1627年)、陸奥国会津藩42万石に加転封される。これに伴い出羽国上山…詳細を見る -
西条藩(紀州藩支藩)/松平家3万石:松平頼英 御親藩支藩にも関わらず早くから新政府軍に属し戊辰戦争に参戦した西条藩【幕末維新写真館】
【藩名】 西条藩(紀州藩支藩) 【説明】 寛文5年(1665年)、「一柳直興」は職務怠慢や失政などを理由に改易処分を受け西条藩は一時天領となった。寛文10年(1670年)、紀伊国紀州藩初代藩主「徳川頼宣」の三男…詳細を見る -
川之江藩/一柳家2万8千石:一柳直家 病死のため末期養子を届けるも所領を没収された川之江藩【幕末維新写真館】
【藩名】 川之江藩 【説明】 寛永13年(1636年)、伊勢国神戸藩主「一柳直盛」は伊予国西条藩6万8千石に加増転封を受けた。しかし、采地に赴く途中、大坂で没してしまう。直盛の遺領は三人の男子によって分割され、…詳細を見る -
阿波徳島藩/蜂須賀家25万7千石:蜂須賀茂韶 佐幕派と尊皇派で藩論が割れて新政府軍への協力が縮小された徳島藩【幕末維新写真館】
【藩名】 阿波徳島藩 【説明】 「豊臣秀吉」股肱の臣で播磨国龍野を領していた「蜂須賀正勝」は、天正13年(1585年)の「四国征伐」の後に阿波国を与えられたが、高齢を理由に嗣子の「蜂須賀家政」に家督を譲り家政が…詳細を見る -
今治藩/松平家3万5千石:松平定法 早くから新政府軍に従い江戸や会津征伐まで参戦した今治藩【幕末維新写真館】
【藩名】 今治藩 【説明】 慶長5年(1600年)、伊予国板島(宇和島)で7万石を領有していた「藤堂高虎」は「関ヶ原の戦い」の戦功により20万石に加増された。同時に今治市内にあった国分山城に移り今治藩が立藩した…詳細を見る -
土佐新田藩(土佐藩支藩)/山内家1万3千石:山内豊誠 本藩とともに戊辰戦争を戦ったため恩賞を下賜された土佐新田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 土佐新田藩(土佐藩支藩) 【説明】 土佐新田藩は土佐藩の支藩で、江戸時代後期の安永9年(1780年)に中村藩系の「山内豊産」が1万3000石を本藩より分与され立藩した。藩主は参勤交代を行わない定府大名…詳細を見る -
伊予吉田藩(宇和島藩支藩)/伊達家3万石:伊達宗敬 幕末時は本家宗城と不仲だったため佐幕派だった吉田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 伊予吉田藩(宇和島藩支藩) 【説明】 明暦3年(1657年)7月21日、宇和島藩の初代藩主「伊達秀宗」の五男「宗純」が本藩より3万石を分知されて立藩した支藩である。三河国の吉田藩と区別するため伊予吉田…詳細を見る -
新谷藩(大洲藩支藩)/加藤家1万石:加藤泰令 幕末には中江藤樹が農兵隊を組織し「郷組」として戊辰戦争へ参戦した新谷藩【幕末維新写真館】
【藩名】 新谷藩(大洲藩支藩) 【説明】 新谷藩は大洲藩の支藩として新谷(大洲市内)に新谷陣屋が置かれた。元和9年(1623年)、大洲藩2代藩主「加藤泰興」の弟「直泰」が幕府より1万石分与の内諾を得て成立した。…詳細を見る -
大洲藩/加藤家6万石:加藤泰秋 早くから勤王の藩として鳥羽伏見の戦いにも参戦した大洲藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大洲藩 【説明】 江戸時代初期の大洲は「藤堂高虎」の所領であり、大洲城主として丹羽長秀の子で高虎の養子の「藤堂高吉」が在城した。慶長13年(1608年)、高虎は伊勢国津藩に転封となったが、大洲の地は高…詳細を見る -
松山新田藩(伊予松山藩支藩)/松平家1万石:松平定静 宗家伊予松山藩を継いだため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 松山新田藩(伊予松山藩支藩) 【説明】 松山新田藩は、江戸時代中期に存した松山藩の支藩である。石高は1万石で松平家4代「松平定直」の子「定章」が享保5年(1720年)に桑村郡・越智郡の一部を新田分知さ…詳細を見る -
小松藩/一柳家1万石:一柳頼明 戊辰戦争では新政府軍に加わり北越戦争を戦った小松藩【幕末維新写真館】
【藩名】 小松藩 【説明】 伊予国東部には、西から小松藩・西条藩・川之江藩(小野藩)と一柳家の兄弟の所領が連なることとなったが、寛永19年(1642年)に小野藩の直家が没すると伊予国内の所領1万8600石が幕府…詳細を見る -
阿波富田藩(徳島藩支藩)/蜂須賀家5万石:蜂須賀正員 本藩の養子となったため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 阿波富田藩(徳島藩支藩) 【説明】 富田藩は、徳島藩の支藩として江戸時代中期に存在した藩である。延宝6年(1678年)に「蜂須賀隆重」が徳島藩5代藩主「蜂須賀綱矩」より5万石の分与を得て、名東郡富田(…詳細を見る -
多度津藩(丸亀藩支藩)/京極家1万石:京極高典 本藩丸亀藩と共に新政府軍として高松藩へ進軍した多度津藩【幕末維新写真館】
【藩名】 多度津藩(丸亀藩支藩) 【説明】 多度津藩は丸亀藩の支藩である。多度津周辺(香川県仲多度郡多度津町)で1万石を領し、多度津に陣屋を構えていた。丸亀藩3代藩主「京極高或」が3歳で藩主となったため、庶兄で…詳細を見る -
丸亀藩/京極家5万1千石:京極朗徹 鳥羽伏見の戦いでは隣藩の高松藩追討軍に加わった丸亀藩【幕末維新写真館】
【藩名】 丸亀藩 【説明】 万治元年(1658年)、山崎氏は3代で断絶し改易となり代わって「京極高和」が播磨龍野より入封する。丸亀藩は、讃岐国(香川県)の西部を領し丸亀城を本城とした藩である。江戸期を通じて京極…詳細を見る -
高松藩/松平家12万石:松平頼聰 幕末の動乱では鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍として戦い朝敵にされた高松藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高松藩 【説明】 寛永19年(1642年)、東讃地域に常陸国下館藩より御三家の水戸徳川家初代藩主「徳川頼房」の長男「松平頼重」が12万石で入封し、東讃地域に高松藩が成立した。頼重は入封にあたり、幕府よ…詳細を見る
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