カテゴリー:全藩
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生坂藩(岡山藩支藩)/池田家1万5千石:池田政礼 新政府軍に従い大津警備や尾張藩への進軍で功をあげた生坂藩【幕末維新写真館】
【藩名】 生坂藩(岡山藩支藩) 【説明】 生坂藩は備中国窪屋郡生坂(岡山県倉敷市)周辺を領有した藩で、石高は1万5000石であった。寛文12年(1672年)、池田光政の三男「輝録」が立藩し藩主は岡山城下に居住し…詳細を見る -
岡田藩/伊東家1万343千石:伊東長寿 いち早く新政府に帰順し備中松山藩の討伐にも加わった岡田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 岡田藩 【説明】 藩主家の伊東氏は日向国飫肥藩主の伊東氏と同族である。藩祖「伊東長実」は豊臣秀吉・秀頼に仕えて「大坂の陣」まで豊臣氏の家臣であった。関ヶ原の戦いに際し、上方での石田三成挙兵の報をいち早…詳細を見る -
浅尾藩/蒔田家1万石:蒔田広孝 京都見廻組役として禁門の変で長州兵を撃退した浅尾藩【幕末維新写真館】
【藩名】 浅尾藩 【説明】 藩祖「蒔田広定」は「関ヶ原の戦い」で石田三成率いる西軍についたため雲出藩を改易されたが後に許されて、慶長8年(1603年)に備中国賀陽・窪屋、河内国大県、山城国久世、摂津国豊島・八部…詳細を見る -
成羽藩/山崎家1万2千石:山崎治敏 幕末に藩領を見直され1万2千石あまりとなり再立藩した成羽藩【幕末維新写真館】
【藩名】 成羽藩 【説明】 元和3年(1617年)、因幡若桜藩より「山崎家治」が3万石にて移封となり成羽藩が立藩される。それまで鶴首城を主城としていたが新たに成羽城を築き周辺の整備も行った。寛永15年(1638…詳細を見る -
新見藩/関家1万8千石:関長克 岡山藩と共に備中松山藩征伐に赴いた新見藩【幕末維新写真館】
【藩名】 新見藩 【説明】 元禄10年(1697年)、宗家の美作津山藩森家の廃藩に伴い、親族である「関長治」が美作宮川藩より移り新見藩を立藩した。初代藩主「長治」は新見の地に陣屋を構えて町を整備し、石高は1万8…詳細を見る -
児島藩/池田家2万石:池田恒元 山﨑藩主が不在のため山﨑へ移封となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 児島藩 【説明】 児島藩は岡山藩の支藩で、備前から備中南部に領地を有していた。岡山藩主「池田光政」が、慶安元年(1648年)3月19日に岡山藩領の一部を弟の「池田恒元」に分け与えて児島藩が立藩された。…詳細を見る -
吉永藩/加藤家2万石:加藤明友 加増の上水口藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 吉永藩 【説明】 吉永藩は「加藤明友」が近江水口藩に転封する前に治めていた藩である。島根県大田市周辺で1万石を領有し吉永に陣屋を構えた。寛永20年(1643年)5月、父「加藤明成」が陸奥会津藩40万石…詳細を見る -
鶴田藩/松平家2万8千石:松平武聰 旧浜田藩主松平武聰が長州藩に追われ飛地まで撤退して立藩【幕末維新写真館】
【藩名】 鶴田藩 【説明】 鶴田藩は幕末から明治初頭まで存在した藩で藩庁は鶴田陣屋に置かれた。慶応2年(1866年)の第二次長州征伐の際、長州藩の「大村益次郎」引きいる南園隊を中心とした長州軍に完敗して松江城に…詳細を見る -
美作宮川藩(津山藩支藩)/関家1万8700石:関長治 本藩である津山藩の廃藩に伴い新見藩へ移封となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 美作宮川藩(津山藩支藩) 【説明】 宮川藩は津山藩の支藩である。津山藩第2代藩主「森長継」の弟の「関長政」が1万8700石を分知され立藩する。元禄10年(1697年)、津山藩森家の廃藩に伴い、第2代藩…詳細を見る -
津山新田藩(津山藩支藩)/森家1万石:森長基 病と偽り江戸へ参府を怠ったため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 津山新田藩(津山藩支藩) 【説明】 貞享3年(1686年)、津山藩3代藩主「森長武」が甥の「森長成」に藩主を譲った際、蔵米2万俵を与えられて立藩した。元禄9年(1696年)、長武の養嗣子となった「長基…詳細を見る -
美作勝山藩/三浦家2万3千石:三浦顕次 譜代大名だが佐幕同盟を脱して新政府に従った勝山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 美作勝山藩 【説明】 明和元年(1764年)、譜代大名の「三浦明次」が三河国西尾藩より転封となり立藩された。真島郡内の96村と大庭郡内の1村を与えられ2万3千石で立藩だった。高田城を藩庁としたため当初…詳細を見る -
母里藩(松江藩支藩)/松平家1万石:松平直哉 第一次長州征伐では消極的な態度に終始した母里藩【幕末維新写真館】
【藩名】 母里藩(松江藩支藩) 【説明】 母里藩は江戸時代中期までは神戸藩と呼ばれたが安来市伯太町西母里の母里陣屋に藩庁が置かれたことから母里藩と呼ばれた。寛文6年(1666年)4月29日、松平家松江藩初代藩主…詳細を見る -
広瀬藩(松江藩支藩)/松平家3万石:松平直巳 幕末では佐幕派と勤皇派で混乱した広瀬藩【幕末維新写真館】
【藩名】 広瀬藩(松江藩支藩) 【説明】 広瀬藩はかつての出雲国の中心地で現在の安来市広瀬地区に広瀬陣屋に藩庁が置かれていた。寛文6年(1666年)、松平家松江藩初代藩主「直政」の次男「近栄」が3万石を分与され…詳細を見る -
松江新田藩(松江藩支藩)/松平家1万石:松平近憲 本藩を継いだため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 松江新田藩(松江藩支藩) 【説明】 松江新田藩は、江戸時代中期にあった松江藩の新田分知による支藩である。元禄14年(1701年)松平家松江藩2代藩主「綱隆」の次男「近憲」が1万石を分与され立藩した。近…詳細を見る -
矢橋藩/市橋家2万1300石:市橋長勝 越後三条藩へ加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 矢橋藩 【説明】 「中村一忠」が伯耆米子藩に入封したとき、八橋には一族の「中村一栄」が入部した。しかし慶長14年(1609年)に「中村一忠」が死去して中村氏が改易されると、伯耆国には諸大名が分散配置さ…詳細を見る -
黒坂藩/関家5万石:関一政 家中の内紛により改易・廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 黒坂藩 【説明】 慶長14年(1609年)に「中村一忠」が死去して中村氏が改易されると、伯耆国には諸大名が分散されて配置されることになる。そして翌年、伊勢亀山藩から「関一政」が2万石加増の上の5万石で…詳細を見る -
倉吉藩/里見家3万石:里見忠義 名門里見氏が安房国から移封され立藩された倉吉藩【幕末維新写真館】
【藩名】 倉吉藩 【説明】 里見氏は安房国の戦国大名「里見義堯」を祖とする外様大名であり、戦国時代末期「里見忠義」は館山藩主として安房一国ならびに常陸国鹿島郡の12万2000石を領していた。慶長19年(1614…詳細を見る -
米子藩/加藤家6万石:加藤貞泰 伊予大洲藩へ加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 米子藩 【説明】 慶長14年(1609年)5月11日、「中村一忠」は20歳の若さで急死した。一忠には3人の子供がいたが領国の継承は認められず中村氏は改易となった。慶長15年(1610年)7月19日、美…詳細を見る -
若桜藩(鳥取藩支藩、鳥取西館新田藩)/池田家2万石:池田徳定 禁門の変では幕府軍として戦うも戊辰戦争では鳥取藩と共に新政府に従った若桜藩【幕末維新写真館】
【藩名】 若桜藩(鳥取藩支藩、鳥取西館新田藩) 【説明】 若桜藩は鳥取西館新田藩ともいい、鳥取藩の第2代藩主「池田綱清」が元禄13年(1700年)5月25日に弟の「池田清定(池田光仲の四男)」に新田1万5000…詳細を見る -
若桜藩/池田家2万石:池田徳定 鳥取藩宗家とともに新政府軍に与した若桜藩【幕末維新写真館】
【藩名】 若桜藩 【説明】 豊臣政権時代は「木下重堅」が若桜城主であったが、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍に属し、敗戦とともに自害した。慶長6年(1601年)、摂津国三田藩より「山崎家盛」が3万石で…詳細を見る
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