カテゴリー:全藩
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総社藩/秋元家1万5千石:秋元泰朝 幕末前に甲斐谷村藩に加増移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 総社藩 【説明】 後北条氏の遺臣で徳川家の譜代家臣となった「秋元長朝」が1万石で入った。長朝は地元の領民などの助力を得て総社に新城築城と城下町建設を計画した。これが「総社町」の建設である。さらに新田開…詳細を見る -
館林藩/秋元家6万石:秋元礼朝 新政府軍に恭順し奥羽戦線に派兵した館林藩【幕末維新写真館】
【藩名】 館林藩 【説明】 館林藩は長州藩と縁戚関係にあったため、常陸水戸藩と共に関東における尊皇攘夷派の急先鋒となった。ところがこの親戚関係が幕府からの嫌疑を招き、元治元年(1864年)7月の「禁門の変」の後…詳細を見る -
小幡藩/奥平松平家2万石:松平忠恕 戊辰戦争では早くから新政府軍に恭順して家名を保った小幡藩【幕末維新写真館】
【藩名】 小幡藩 【説明】 上野上里見藩より、若年寄の「松平忠恒」が2万石で入封する。奥平松平家の歴代藩主4人は若年寄、寺社奉行、奏者番などを歴任した。小幡藩は毎年財政難となり藩の借金は、天保15年(1844年…詳細を見る -
吉井藩(矢田藩)/松平家1万石:吉井信謹 幕末時に新政府側の立場を取り松平性を捨て吉井姓に改めた吉井藩【幕末維新写真館】
【藩名】 吉井藩(矢田藩) 【説明】 第9代藩主「松平信発」は安政6年(1859年)、常陸水戸藩主「徳川斉昭」蟄居の命を伝える上使を務めた功績から、莫大な恩賞を受けた。藩政においても農民兵を採用した軍制改革を行…詳細を見る -
七日市藩/前田家1万石:前田利昭 早くから新政府軍に恭順し会津戦争へ加わった七日市藩【幕末維新写真館】
【藩名】 七日市藩 【説明】 慶応4年(1868年)の「戊辰戦争」では新政府側に与し、会津藩の討伐に参加した。翌年の「版籍奉還」で最後の藩主の利昭は七日市藩知事となる。利昭は成器館を文武学校と改称し、さらに軍務…詳細を見る -
伊勢崎藩/酒井家2万石:酒井忠彰 自ら謹慎して新政府に恭順した伊勢崎藩【幕末維新写真館】
【藩名】 伊勢崎藩 【説明】 幕末には本家の「姫路藩」が佐幕派だったため新政府から警戒されたが、8代藩主「酒井忠強」は自ら謹慎することで恭順の意を示した。早くから恭順したことで無事に戊辰戦争を生き抜いた。その後…詳細を見る -
高崎藩/大河内松平家8万2千石:松平輝聲 早くから新政府へ恭順し明治を迎えた高崎藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高崎藩 【説明】 安政6年(1859年)12月15日、高崎藩主「大河内輝声」は将軍「徳川家茂」に拝謁する。万延元年(1860年)8月24日、家督を継ぎ、文久2年(1862年)12月11日には従五位下右…詳細を見る -
安中藩/板倉家2万石:板倉勝殷 幕末期に同志社大学を創設した新島襄を排出した安中藩【幕末維新写真館】
【藩名】 安中藩 【説明】 安中藩は幕末期に「和宮降嫁」のために中山道の守備を務めた。「偽官軍事件」として有名な「赤報隊」事件はこの安中で起こっている。慶応4年(1868年)3月には老臣を上洛させて、いち早く新…詳細を見る -
前橋藩/松平家17万石:松平直克 大政奉還後の戊辰戦争ではいち早く新政府に恭順した前橋藩【幕末維新写真館】
【藩名】 前橋藩 【説明】 幕末になって時の川越藩主「松平直克」に念願の前橋帰城が許された。足掛け4年におよぶ大規模な築城を経て、慶応3年(1867年)新「前橋城」が完成し、川越藩の石高17万石をもって前橋藩が…詳細を見る -
沼田藩/土岐家3万5千石:土岐頼知 新政府軍に恭順し三国峠の戦いで会津藩と交戦した沼田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 沼田藩 【説明】 第11代沼田藩主となった「土岐頼之」は、寛政の改革で有名な「松平定信」の孫であったが、徳川幕府とはあまり深く関わらずにいた。慶応3年(1867年)4月に家督を「土岐頼知」に譲って隠居…詳細を見る -
石川藩/本多家1万石:本多忠利 三河国挙母藩への移封にて廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 石川藩 【説明】 石川藩は寛文2年(1662年)、「本多忠勝」の曾孫「本多忠平(白河藩主)」が襲封にあたり次弟の「本多忠利」に陸奥石川郡のうち16か村1万石を分与して成立した白河藩の支藩である。天和元…詳細を見る -
大久保藩/本多家1万石:本多政利 藩政不届きにより幕末前に改易【幕末維新写真館】
【藩名】 大久保藩 【説明】 天和2年(1682年)2月、郡山藩で起こった九・六騒動の張本人の一人「本多政利」は幕府からその責を問われ、6万石の内3万石を返還した上で新たに3万石が加えられるという形で播磨国明石…詳細を見る -
会津藩/松平家23万石:松平容保 戊辰戦争最大の激戦地で白虎隊の悲劇が起こった会津藩【幕末維新写真館】
【藩名】 会津藩 【説明】 慶応4年(1868年)に鳥羽・伏見の戦い(戊辰戦争)が勃発する。会津藩は、桑名藩や幕府軍とともに新政府軍と戦ったが敗北した。この戦の結果、朝廷は会津藩を「朝敵」とした。その後の奥羽戦…詳細を見る -
陸奥下村藩/田沼家1万石:田沼意正 幕末前に相良へ移封となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 陸奥下村藩 【説明】 文政6年(1823年)、老中「水野忠成」や将軍「徳川家斉」の計らいもあって、「田沼意正」は意次時代の旧領の相良へ再び移されることとなり、下村藩は廃藩となった。ちなみに、田沼氏が再…詳細を見る -
下手渡藩/立花家1万石:立花種恭 奥羽戦争では新政府軍側で仙台藩と戦った下手度藩【幕末維新写真館】
【藩名】 下手渡藩 【説明】 幕末の藩主「立花種恭」は慶応4年(1866年)1月10日に老中格の会計総裁となったが、すでに「戊辰戦争」が始まっており、「鳥羽伏見の戦い」において敗北を喫した直後であった。この混乱…詳細を見る -
桑折藩/松平家2万石:松平忠恒 幕末前に上野篠塚へ転封となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 桑折藩 【説明】 藩主は奥平氏系の松平家(奥平松平家)で、徳川家康の女婿「奥平信昌」の孫「松平忠弘」の養子となった「松平忠尚」を藩祖とする。家格は帝鑑間詰譜代大名であった。 その後、忠弘に直系の…詳細を見る -
梁川藩/松前家9千石:松前章広 幕末前に蝦夷松前へ再封となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 梁川藩 【説明】 蝦夷地は度々幕府の管轄する領地となり梁川に転封された松前氏は、まず財政難に直面した。蝦夷においては商場知行という形で知行地を家臣に与えていたが、梁川では石高制度に切り替える必要があり…詳細を見る -
二本松藩/丹羽家10万7千石:丹羽長国 戊辰戦争では二本松少年隊の悲劇で知られる二本松藩【幕末維新写真館】
【藩名】 二本松藩 【説明】 幕末期、第10代二本松藩主「丹羽長国」は江戸湾警備、京都警衛、天狗党の乱鎮圧などで活躍した。戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に参加して新政府軍と戦ったが、各地で敗戦を重ねて明治元年(18…詳細を見る -
福島藩/板倉家3万石:板倉勝達 奥羽越列藩同盟に加盟したため減封の上三河国重原藩へ移封となった板倉氏【幕末維新写真館】
【藩名】 福島藩 【説明】 元禄15年(1702年)に板倉氏が3万石にて福島藩へ入封した。明治元年(1868年)、12代藩主「板倉勝達」は「奥羽越列藩同盟」に与したため、領土を奥羽内に移された。これに伴い元々飛…詳細を見る -
窪田藩/土方家2万石:土方雄隆 跡目相続のお家騒動により幕末前に改易【幕末維新写真館】
【藩名】 窪田藩 【説明】 天和3年(1683年)5月13日に窪田に赴くとき、病を理由に異母弟の「土方貞辰」に家督を譲ろうと幕府に請うた。ところが家臣団の一部から雄信の子の「土方内匠」を擁立する一派が現われ、家…詳細を見る
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