カテゴリー:全藩
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大多喜藩/松平家2万石:松平正質 遊撃隊や請西藩の誘いを退けたことで新政府より赦免された大多喜藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大多喜藩 【説明】 天正18年(1590年)、豊臣秀吉による「小田原征伐」後、関東に入部した「徳川家康」は「徳川四天王」の一人「本多忠勝」に上総国に10万石を与えた。忠勝は当初は「万喜城」に入城したが…詳細を見る -
久留里藩/黒田家3万石:黒田直養 いち早く新政府軍に恭順し家名を守った久留里藩【幕末維新写真館】
【藩名】 久留里藩 【説明】 戊辰戦争のとき、最後の藩主「黒田直養」は新政府軍に帰順し、慶応4年(1868年)2月、15代将軍「徳川慶喜」が上野寛永寺に謹慎したときには「榊原政敬」と共にその警護を務めた。 …詳細を見る -
一宮藩/加納家1万3千石:加納久宜 真忠組の乱を鎮圧し戊辰戦争では新政府軍に与した一宮藩【幕末維新写真館】
【藩名】 一宮藩 【説明】 戦国時代にはこの地に一宮城が存在していた。一宮城は北条氏と里見氏の勢力圏の境目にあり、しばしば支配者が変わったが、戦国時代も終盤になると、豊臣秀吉による「小田原征伐」の際に徳川家康の…詳細を見る -
佐貫藩/阿部家1万6千石:阿部正恒 旧幕府軍撒兵隊へ援軍を送り謹慎となった佐貫藩主 阿部正恒【幕末維新写真館】
【藩名】 佐貫藩 【説明】 佐貫藩最後の藩主となった「阿部正恒」は、慶応4年(1868年)の「戊辰戦争」で旧幕府軍に与したことから罪を問われ謹慎処分となった。旧幕府軍の脱走兵で構成された「撒兵隊(徳川義軍府)」…詳細を見る -
飯野藩/保科家2万石:保科正益 戊辰戦争勃発時に徳川慶喜の助命を求めた飯野藩主 保科正益【幕末維新写真館】
【藩名】 飯野藩 【説明】 飯野藩最後の藩主「保科正益」は大坂定番を務め、慶応2年(1866年)5月26日には「若年寄」にまで栄進し、「第二次長州征伐」では征長軍の指揮をとった。慶応4年(1868年)、「戊辰戦…詳細を見る -
請西藩(貝淵藩)/林家1万石:林忠崇 旧幕府人見勝太郎・伊庭八郎らと遊撃隊を組織し仙台まで戦い抜いた林忠崇【幕末維新写真館】
【藩名】 請西藩(貝淵藩) 【説明】 請西藩陣屋(真武根陣屋)真武根陣屋は現在の千葉県木更津市にあった1万石(林家)の陣屋跡である。林家は「徳川家斉」が11代将軍に就任した時に、時の当主「林忠英」が小姓として出…詳細を見る -
龍ヶ崎藩/米津家1万1千石:米津政敏 出羽長瀞藩から大網藩・龍ヶ崎藩へと移封した米津家【幕末維新写真館】
【藩名】 龍ヶ崎藩 【説明】 龍ヶ崎藩の前身は長瀞藩で出羽国に本拠を置いたため、後の戊辰戦争(奥羽戦争)では戦場となり、戦火によって「長瀞陣屋」と町を失った。明治2年(1869年)に版籍を奉還して長瀞藩知事に就…詳細を見る -
江戸崎藩/丹羽家2万石:丹羽長重 陸奥棚倉藩へ加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 江戸崎藩 【説明】 慶長8年(1603年)、本多正信や内藤清成らと並んで関東総奉行を務めた徳川氏譜代の家臣「青山忠成」が1万石で入ったことにより江戸崎藩が立藩する。なお、忠成の嫡子「青山忠俊」は父とは…詳細を見る -
常陸古渡藩/丹羽家1万石:丹羽長重 江戸崎藩へ加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 常陸古渡藩 【説明】 「関ヶ原の戦い」の功により近江の一部を領していた「山岡景友」が初代古渡藩主として封じられたが、無嗣改易となった。その後、関ヶ原の戦いで中立を貫いて「前田利長」と争ったため、一時期…詳細を見る -
小張藩/松平家1万5千石:松平乗政 信濃小諸藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 小張藩 【説明】 延宝7年(1679年)、「松平乗政」が1万石を領したことから小張藩が立藩される。乗政は「徳川家綱」の小姓で5,000石を領していたが、延宝7年に若年寄に栄進したことから常陸国河内郡や…詳細を見る -
玉取藩/堀家1万2千石:堀通周 幕府の命により改易【幕末維新写真館】
【藩名】 玉取藩 【説明】 「堀利重(堀秀治の弟)」は「大坂の陣」で武功を挙げたことから、元和8年(1622年)常陸新治郡に1万石を与えられて「玉取藩」を立藩した。利重はその後、書院番頭、大番頭、寺社奉行など要…詳細を見る -
志筑藩/本堂家1万1百石:本堂親久 幕末には新選組の伊東甲子太郎・鈴木三樹三郎を排出した志筑藩【幕末維新写真館】
【藩名】 志筑藩 【説明】 「関ヶ原の戦い」の後、慶長7年(1602年)に常陸国の「佐竹義宣」が出羽国秋田に減転封されたのと入れ替わりに、会津の上杉攻めで功績のあった出羽国本堂城主の「本堂茂親」が常陸国新治郡志…詳細を見る -
常陸北条藩/堀田家1万3千石:堀田正英 継嗣届け出不備により改易【幕末維新写真館】
【藩名】 常陸北条藩 【説明】 下総国佐倉藩主「堀田正盛」の四男「堀田正英」は、父が将軍に殉死した後その遺領のうち5000石を分与された。その後は「徳川家綱」に仕えて御小姓組番頭、書院番頭、大番頭と次第に累進し…詳細を見る -
柿岡藩/稲葉家1万石:稲葉正勝 真岡藩に吸収されたため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 柿岡藩 【説明】 寛永元年(1624年)、常陸国新治郡柿岡をはじめ、上野国や下野国において5000石の知行を領していた「稲葉正勝」は、常陸国真壁郡にも5000石を加増されて1万石の大名となり、柿岡藩が…詳細を見る -
片野藩/滝川家2万石:滝川正利 病弱の為1万8千石を幕府へ返納し廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 片野藩 【説明】 戦国武将「滝川雄利」は織田信長に仕え、信長没後はその次男「信雄」の家臣となった。信雄が改易されると豊臣秀吉の家臣として伊勢国神戸に2万石を与えられた。慶長5年(1600年)の「関ヶ原…詳細を見る -
真壁藩/浅野家5万石:浅野長重 笠間藩へ加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 真壁藩 【説明】 慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で、「浅野幸長」は東軍に与して戦功を挙げたため、甲斐国から紀伊国紀州藩37万6500石に加増移封された。幸長の父「浅野長政」は慶長10年(16…詳細を見る -
保内藩/松平家2万石:松平頼隆 常陸府中藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 保内藩 【説明】 寛文元年(1661年)9月、水戸藩主「徳川頼房」の五男「松平頼隆」は、兄で水戸藩2代藩主「徳川光圀」から2万石の領地を分与され、保内藩が立藩した。元禄13年(1700年)9月、幕府に…詳細を見る -
松川藩/松平家2万石:松平頼之 守山藩から松川藩へ藩庁を移転し立藩【幕末維新写真館】
【藩名】 松川藩 【説明】 明治3年(1870年)、守山藩は藩庁を守山から常陸国松川に移したため、ここに「松川藩」が立藩し守山藩は廃藩となる。翌明治4年(1871年)、陣屋の物置から出火し、強い北風に煽られて藩…詳細を見る -
額田藩/松平家2万石:松平頼貞 磐城守山藩へ藩庁を移転したため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 額田藩 【説明】 寛文元年(1661年)9月、水戸藩主「徳川頼房」の四男「松平頼元」が、水戸藩領のうち那珂郡内2万石を分与され額田藩が立藩した。当初は領地がなく、水戸藩から2万石分の年貢を与えられるだ…詳細を見る -
麻生藩/新庄家1万石:新庄直敬 戊辰戦争時にはいち早く新政府軍に恭順した麻生藩【幕末維新写真館】
【藩名】 麻生藩 【説明】 「新庄直頼」は慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」のとき、西軍に属したため摂津国高槻の所領を没収されていたが、後に許されて「徳川家康」に召し出された慶長9年(1604年)、常陸国…詳細を見る
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