カテゴリー:全藩
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蔵王堂藩/堀家8万石:堀直寄 長岡藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 蔵王堂藩 【説明】 慶長3年(1598年)に「上杉景勝」が会津に移封すると、かわって越後に入封した「堀秀治」の弟「堀親良」が4万石を与えられて「蔵王堂城主」となった。堀氏は慶長5年(1600年)の「関…詳細を見る -
三根山藩(長岡藩支藩)/牧野家1万1千石:牧野忠泰 宗家長岡藩の落城により恭順【幕末維新写真館】
【藩名】 三根山藩(長岡藩支藩) 【説明】 幕末の1863年(文久2年)、三根山藩主「牧野忠泰」は開墾した新田分5千石を新たに打ち出し、高直しにより11,000石となり「三根山藩」を立藩した。三根山藩は「参勤交…詳細を見る -
長岡藩/牧野家7万4千石:牧野忠訓 河井継之助が新政府軍に徹底抗戦した長岡藩【幕末維新写真館】
【藩名】 長岡藩 【説明】 幕末時に長岡藩筆頭家老に就任した「河井継之助」は最期まで中立の立場で武装講和を望んでいた。しかし、新政府軍参謀の「岩村精一郎(土佐藩)」との間で「小千谷会談」にて河井の提案は一蹴され…詳細を見る -
与板藩/井伊家2万石:井伊直安 井伊宗家の新政府恭順に伴い与板藩も恭順【幕末維新写真館】
【藩名】 与板藩 【説明】 慶応4年(1868年)、「鳥羽・伏見の戦い」にて火蓋を切った戊辰戦争は、それまで政争の中心から遠かった小藩の与板藩をも巻き込んでいく。徳川宗家の「大政奉還」後、井伊家宗家の「彦根藩」…詳細を見る -
村松藩/堀家3万石:堀直弘 藩主は奥羽越列藩同盟に殉じた村松藩【幕末維新写真館】
【藩名】 村松藩 【説明】 幕末期の村松藩内では尊王論が台頭し、尊王攘夷と軍制改革を主張する一派と対立し、慶応2年(1866年)11月に「村松七士事件(尊王攘夷派7名を保守派が処刑した事件)」が起こるなど、藩内…詳細を見る -
新発田藩/溝口家10万石:溝口直正 北越戦争では同盟軍を裏切り新政府軍へ身を投じた新発田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 新発田藩 【説明】 「戊辰戦争」が勃発すると新発田藩では新政府軍よりの立場をとろうとするも、近隣諸藩が「奥羽越列藩同盟」に加盟したため、やむなくこれに加盟する。同盟側は「新発田藩」を参戦させようと謀り…詳細を見る -
三日市藩(郡山藩支藩)/柳沢家1万石:柳沢徳忠 新発田藩と共に新政府軍へ協力した三日市藩【幕末維新写真館】
【藩名】 三日市藩(郡山藩支藩) 【説明】 幕末期、三日市藩は外国船の到来に備えて「軍備増強」に多額の経費を投入した上、幕府から新潟港や青山海岸、江戸飛鳥山近辺の警備を命じられた。さらに第8代藩主「柳沢徳忠」の…詳細を見る -
黒川藩(郡山藩支藩)/柳沢家1万石:柳沢光邦 会津藩の誘いを受け奥羽越列藩同盟に加わるも消極的だったため家名を存続した黒川藩【幕末維新写真館】
【藩名】 黒川藩(郡山藩支藩) 【説明】 第7代藩主「柳沢光昭」は黒川陣屋内に藩校「弘道館」を設け、藩士の子弟教育に務めた。黒川藩は歴代藩主のほとんどが「江戸定府」であったため参勤交代がなかった。そんな中、文久…詳細を見る -
村上藩/内藤家5万石:内藤信美 庄内藩と共に新政府軍に抗戦するも降伏【幕末維新写真館】
【藩名】 村上藩 【説明】 内藤氏は「徳川家康」の異母弟「内藤信成」の家系である。村上藩7代藩主「信思」の養嗣子で第8代藩主となった「内藤信民」は、幕末の混乱期に藩内における佐幕派・尊皇派の対立に苦しみながら、…詳細を見る -
甲府新田藩/柳沢家3万5千石:柳沢時睦 本藩の大和郡山藩移封に伴い越後三日市藩を立藩し廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 甲府新田藩 【説明】 「柳沢吉里」は家督相続の際に弟の「柳沢経隆」と「柳沢時睦」に山梨・八代両郡の内の1万石を分与し、ここに「甲府新田藩」が立藩した。享保9年(1724年)3月、本藩の「柳沢吉里」が「…詳細を見る -
徳美藩/伊丹家3万5千石:伊丹勝守 藩主自刃のため領地没収の上改易・廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 徳美藩 【説明】 寛永10年(1633年)2月、武田遺臣でもある幕臣「伊丹康勝」は下総国相馬郡の内にあった9,000石の所領から甲斐山梨郡3,000石を加増されて1万2,000石を領する大名となり、甲…詳細を見る -
谷村藩/秋元家1万8千石:秋元喬知 川越藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 谷村藩 【説明】 秋元氏が城主の時代には藩政機構が整備されていたが、宝永元年(1704年)12月に「秋元喬知」が武蔵国「川越藩」に移封され、川越藩主であった「柳沢吉保」が甲府城主となり「谷村藩」は廃藩…詳細を見る -
甲府藩/柳沢家15万石:柳沢吉里 大和国郡山藩へ移封のため幕府城代が置かれた甲府城【幕末維新写真館】
【藩名】 甲府藩 【説明】 将軍綱吉政権下で有力となった側用人「柳沢吉保」が15万石で甲府藩に入封する。甲斐城には将軍の一族以外が入るという前例は無く、異例中の異例であり、それだけ将軍からの信任を得ていたことに…詳細を見る -
深見藩/坂本家1万石:坂本重治 勤務怠慢により減封の上廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 深見藩 【説明】 「坂本重治」は第5代将軍「徳川綱吉」のもとで大目付・寺社奉行などを歴任したため、天和2年(1682年)10月、1万石の大名として「深見藩」を立藩した。しかし大名として陣屋を構えること…詳細を見る -
荻野山中藩(小田原藩支藩)/大久保家1万3千石:大久保教義 倒幕派浪士隊により陣屋を襲撃された山中藩【幕末維新写真館】
【藩名】 荻野山中藩(小田原藩支藩) 【説明】 荻野山中藩は小田原藩大久保家の支藩である。天明3年(1783年)に駿河国松長藩主「大久保教翅」が陣屋を山中に移し立藩した。 慶応4年(1868年)「徳川家達…詳細を見る -
小田原藩/大久保家11万3千石:大久保忠礼 人見勝太郎率いる遊撃隊の来援で一度は旧幕府軍に協力した小田原藩【幕末維新写真館】
【藩名】 小田原藩 【説明】 貞享3年(1686年)に、下総佐倉藩主「大久保忠朝」が10万3千石で入封した。大久保忠朝は小田原藩最初の藩主「大久保忠世」の5代目にあたり、当時は幕府の老中であった。一度は本多一派…詳細を見る -
玉縄藩/松平家2万5千石:松平正久 上総国大多喜藩へ転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 玉縄藩 【説明】 玉縄城は小田原北条氏の支城であったが、天正18年(1590年)の豊臣秀吉の「小田原征伐」で落城する。 「徳川家康」が関東に入封し、家康の参謀「本多正信」の所領となったが…詳細を見る -
船形藩/平岡家1万石:平岡道弘 版籍奉還に先だって自ら廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 船形藩 【説明】 元治元年(1864年)10月、「平岡道弘」は加増を受けて1万石の大名に列し「船形藩」が立藩された。翌、慶応元年(1865年)には船形村で陣屋建設を開始している。 明治元年(18…詳細を見る -
安房三枝藩/三枝家1万石:三枝守昌 家督相続した守全が兄弟へ分与のため旗本となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 安房三枝藩 【説明】 「三枝守昌」は「関ヶ原の戦い」や「大坂の陣」において武功を挙げ、「徳川忠長」に仕えて1万5千石を与えられたが、忠長改易に連座して失脚したという。その後、再び幕臣として召し出されて…詳細を見る -
花房藩/西尾家3万5千石:西尾忠篤 徳川宗家の駿河移封の替地として横須賀藩から転封した西尾氏【幕末維新写真館】
【藩名】 花房藩 【説明】 明治元年(1868年)、遠江国「横須賀藩主」であった「西尾忠篤」が、安房長狭郡花房村に3万5千石をもって入部し「花房藩」が立藩された。これは徳川宗家が江戸から「静岡藩」へ移封されたこ…詳細を見る
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