カテゴリー:全藩
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十七条藩/稲葉家1万石:稲葉正成 下野真岡藩へ加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 十七条藩 【説明】 「小早川秀秋」の家老「稲葉正成」は「関ヶ原の戦い」で「平岡頼勝」とともに秀秋の東軍裏切り工作を行なった人物として有名であるが、秀秋没後に浪人する。やがて「徳川家康」に召し出され、慶…詳細を見る -
多良藩/関家3万石:関一政 関ヶ原の恩賞として旧領伊勢亀山藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 多良藩 【説明】 織田信長・豊臣秀吉に仕えた「関盛信」には「関一政」という息子がいた。一政は天正10年(1582年)から天正16年(1588年)まで多良を支配していたが、やがて「蒲生氏郷」の与力大名と…詳細を見る -
青野藩/稲葉家1万2千石:稲葉正休 江戸城内で大老堀田正俊を刺殺したため改易の上で廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 青野藩 【説明】 元和4年(1618年)、「稲葉正成」の子「稲葉正次」が幕府に仕えて5000石を与えられた。寛永5年(1628年)5月に正次は死去し、嗣子の稲葉正能は幼少のため、弟の「稲葉正吉」が後を…詳細を見る -
大垣新田藩(大垣藩支藩)/戸田家1万石:戸田氏良 戊辰戦争では新政府軍に恭順し北越戦争に従軍した別名野村藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大垣新田藩(大垣藩支藩) 【説明】 明暦元年(1655年)、戸田氏鉄の次男「戸田氏経」は兄の「戸田氏信」から美濃国大野郡内の新田4,000石を加増されて6,200石の知行を得た。その後、「戸田氏利」が…詳細を見る -
黒野藩/加藤家4万石:加藤貞泰 関ヶ原の戦いでは途中から東軍へ加担し家名を保ち最後は米子藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 黒野藩 【説明】 「豊臣秀吉」の家臣であった「加藤貞泰(加藤光泰の子)」は、文禄4年(1595年)に美濃黒野に4万石を与えられた。「関ヶ原の戦い」で貞泰は最初、西軍に与していたが途中から東軍に寝返り、…詳細を見る -
揖斐藩/西尾家3万石:西尾嘉教 無嗣断絶により改易・廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 揖斐藩 【説明】 戦国時代「西尾光教」は斎藤氏、織田氏、豊臣氏に仕えて曽根に2万石を領していた。「関ヶ原の戦い」で西軍の「大谷吉継」の制止を振り切って「徳川家康」に与したため、吉継によって曽根城は焼き…詳細を見る -
高須藩(尾張藩支藩)/松平家3万石:松平義勇 幕末に活躍した藩主を多く養子に出した高須藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高須藩(尾張藩支藩) 【説明】 信濃伊那郡・高井郡・水内郡内に3万石の所領を得ていた尾張藩第2代藩主「徳川光友」の次男「松平義行」は元禄13年(1700年)3月25日、所領の半分である1万5000石を…詳細を見る -
今尾藩(尾張藩附家老)/竹腰家3万石:竹腰正旧 代々尾張藩の附家老にて明治維新と共に独立大名となった今尾藩【幕末維新写真館】
【藩名】 今尾藩(尾張藩附家老) 【説明】 今尾城を領していた「市橋長勝」は「関ヶ原の戦い」で東軍に与したことで所領を安堵された。慶長15年(1610年)、「中村一忠」の改易により長勝は伯耆矢橋藩へ転封となった…詳細を見る -
尾張黒田藩/一柳家3万石:一柳直盛 伊勢神戸藩へ加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 尾張黒田藩 【説明】 戦国時代の尾張は織田信長の領国であったが、信長が尾張を完全に制圧する前には「織田伊勢守家」に仕えていた「山内盛豊」が治めていた。ちなみに盛豊の次男が「山内一豊」である。盛豊が戦死…詳細を見る -
緒川藩/水野家9千820石:水野分長 徳川家康の従兄弟でもあり重宝された水野氏 三河新城藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 緒川藩 【説明】 緒川の地は、戦国時代初期から中期にかけての水野氏の本拠地であった。第4代当主「水野忠政」の次男「水野信元」、三男「水野忠守」、九男「水野忠重」が領主を歴任しながら、徳川家康の旗下とし…詳細を見る -
三河水野藩/水野家1万石:水野忠胤 与力武将の刃傷沙汰と職務不手際の罪で切腹となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 三河水野藩 【説明】 「水野勝成」の弟「水野忠胤」は「関ヶ原の戦い」において戦功を挙げ、なおかつ「徳川家康」の従弟に当たるということから、戦後に三河国内に1万石を与えられ、大名となった。 しかし…詳細を見る -
大浜藩/水野家1万4千石:水野忠友 駿河沼津藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大浜藩 【説明】 明和5年(1768年)、信濃国佐久郡に9000石を領していた「水野忠友」が若年寄、そして奥勤兼側衆となって5000石を新たに加増されたため、1万4000石の大名として大浜藩を立藩した…詳細を見る -
形原藩/松平家1万石:松平家信 摂津高槻藩へ加増転封となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 形原藩 【説明】 「松平家信」は徳川家康に仕えて度々功を挙げたことから、三河形原に5000石を与えられた。元和4年(1618年)9月に安房国内において5000石を加増されて1万石の大名となり、形原藩を…詳細を見る -
深溝藩/板倉家1万5千石:板倉重昌 島原の乱にて戦死 嫡子重矩が藩庁を三河中島藩へ移転したため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 深溝藩 【説明】 慶長19年(1614年)7月、山城国において1,000石を領していた「板倉重昌」は深溝にて1,230石を加増された。その後も家康の側近として活躍し、家康死去の時点では5,230石を領…詳細を見る -
三河中島藩/板倉家5万石:板倉重矩 幕府要職を歴任し下野烏山藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 三河中島藩 【説明】 「板倉重矩」は家督相続のとき藩庁を深溝から中島に移し三河中島藩1万石が立藩した。重矩は万治3年(1660年)11月に大坂定番に任じられて功を挙げたことから、1万石を加増された。…詳細を見る -
奥殿藩/松平家1万6千石:松平乗謨 信濃国佐久郡田野口へ移転し龍岡五稜郭建造のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 奥殿藩 【説明】 第7代藩主となった奥殿藩主「松平乗利」は有能な名君で、文武を奨励して演武場、藩校・明徳館などを創設している。天保4年(1833年)の凶作時には、窮民に対する救済も万全に行なうなど、他…詳細を見る
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