カテゴリー:関東地方
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高徳藩/戸田家1万石:戸田忠綱 旧幕府軍と新政府軍の戦場にもなった高徳藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高徳藩 【説明】 慶応2年(1866年)3月、「戸田忠至」は「天狗党の乱」で改易の危機に立たされた宇都宮藩を救い、山陵奉行として功績を挙げたことから、本家である宇都宮藩戸田家から1万石を分与され、大名…詳細を見る -
那須藩/那須家1万2千石:那須資祗 烏山藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 那須藩 【説明】 慶安元年(1648年)、無嗣断絶とされた信濃国小諸藩主「松平憲良」の弟「松平康尚」が名跡の継承を許されて那須城へ1万石で入封し、那須藩が再立藩された。翌慶安2年(1649年)、康尚は…詳細を見る -
佐野藩/堀田家1万3千石:堀田正頌 幕末時には新政府軍に武器を献上し恭順した佐野藩【幕末維新写真館】
【藩名】 佐野藩 【説明】 唐沢山城を統治していた「佐野房綱」は豊臣秀吉に仕えていたが、ほどなく死去し、その跡を養子の「佐野信吉」が継いだ。しかし、信吉の代に佐野氏は徳川幕府より改易されてしまう。堅城を誇る唐沢…詳細を見る -
壬生藩/鳥居家3万石:鳥居忠宝 土壇場で新政府軍に恭順した壬生藩【幕末維新写真館】
【藩名】 壬生藩 【説明】 幕末期、壬生藩では尊皇攘夷をめぐっての争いが絶えず、文久2年(1862年)には勤王派が主導権を握って保守派の江戸家老「鳥居志摩」が失脚の上、自刃させられた。元治元年(1864年)に水…詳細を見る -
宇都宮藩/戸田家7万7千石:戸田忠友 戊辰戦争では旧幕府軍と新政府軍との間で激戦となった宇都宮城【幕末維新写真館】
【藩名】 宇都宮藩 【説明】 元治元年(1864年)、常陸国筑波山にて「天狗党の乱」が起こり天狗党の一軍が宇都宮城にやって来た。この時、宇都宮藩兵は日光の守備、山陵の家臣派遣などで藩内に兵が少なかった。天狗党幹…詳細を見る -
烏山藩/大久保家2万石:大久保忠順 幕末時は特にめだったこともなく新政府軍に恭順した烏山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 烏山藩 【説明】 幕末期の烏山藩は領内が荒廃していたこともあり、特に目立ったことはなかった。特に何ら処罰も受けていないので早くから新政府軍に恭順していたものと考えられる。明治2年(1869年)の「版籍…詳細を見る -
喜連川藩/喜連川家5千石:喜連川縄氏 いち早く新政府軍に恭順し白河小峰城の攻防戦にも参戦した喜連川藩【幕末維新写真館】
【藩名】 喜連川藩 【説明】 喜連川藩主は「足利国朝(正室は古河公方 足利氏姫)」を藩祖とする足利一門である。喜連川氏は「足利尊氏」の次男「足利基氏」の後裔であり、名族足利氏のなかで唯一「明治維新」まで存続した…詳細を見る -
黒羽藩/大関家1万8千石:大関増勤 戊辰戦争では新式装備にて三斗小屋攻略や会津戦争へ参戦した黒羽藩【幕末維新写真館】
【藩名】 黒羽藩 【説明】 第15代黒羽藩主「大関増裕」は外様の小藩ながら幕末には「海軍奉行」や「若年寄」などの幕府要職を歴任する。藩政では「作新館」を開校し藩兵の洋式化を目指し当時最先端のスペンサー銃の標準装…詳細を見る -
大田原藩/大田原家1万1千石:大田原一清 新政府軍についたため会津藩や旧幕府軍から攻撃を受けた大田原藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大田原藩 【説明】 第3代大田原藩主「大田原高清」は弟の「為清」に1000石を分知し、表高は1万1000石となった。大田原氏は小藩ながら外様大名として江戸期・幕末・明治時代まで存続した。幕末の嘉永3年…詳細を見る -
篠塚藩/松平家2万石:松平忠恒 上里見藩へ移封のため短期間のうちに廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 篠塚藩 【説明】 延享4年(1747年)7月、陸奥桑折藩主であった「松平忠恒」が陸奥伊達郡など1万2250石の所領を上野国に移され、邑楽郡篠塚村に陣屋を構えたことから篠塚藩を立藩した。表高は2万石であ…詳細を見る -
上里見藩/松平家2万石:松平忠恒 小幡藩へ移封となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 上里見藩 【説明】 上里見藩は寛延元年(1748年)8月、篠塚藩主であった「松平忠恒」が移封されたことから立藩した。表高は2万石。忠恒は奏者番・寺社奉行を兼務した「松平忠暁」の次男で、自身も奏者番と寺…詳細を見る -
青柳藩/近藤家1万石:近藤秀用 幕末前に井伊谷藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 青柳藩 【説明】 慶長19年(1614年)、槍奉行であった「近藤秀用」は相模国内において新たに1万石を与えられ、従来の上野国邑楽郡青柳5千石と合わせて1万千石の大名として諸侯に列し青柳藩を立藩した。翌…詳細を見る -
白井藩/本多家1万石:本多紀貞 幕末前に嗣子がなくお家は断絶し廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 白井藩 【説明】 「西尾忠永」が2万石で白井藩へ入封する。しかし、元和4年(1618年)に常陸国土浦藩へ移封となった。その後を受けて「本多康重」の次男「本多紀貞」が1万石で入封する。元和9年(1623…詳細を見る -
大胡藩/牧野家2万石:牧野忠成 幕末前に長岡へ加増転封となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大胡藩 【説明】 慶長14年(1609年)12月、「牧野康成」が死去し、子の「牧野忠成」が大胡藩主の跡を継いだ。忠成は元和2年(1616年)7月、越後国長峰藩に5万石で移され、元和4年(1618年)3…詳細を見る -
上野豊岡藩/根津家1万石:根津信直 幕末前に嗣子がなくお家断絶により廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 上野豊岡藩 【説明】 慶長7年(1602年)、「根津政直」の子である「根津信政」は5千石の加増により合計1万石の大名として上野豊岡藩を立藩した。信政の没後その息子「政次」が、さらにその死後は養子となっ…詳細を見る -
板鼻藩/酒井家2万石:酒井忠行 本家の姫路移封に伴い支藩も廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 板鼻藩 【説明】 寛永2年(1625年)9月2日に、上野厩橋藩主「酒井忠世」の長男「酒井忠行」が板鼻に2万石の所領を与えられ板鼻藩を立藩した。忠行は部屋住み身分ながら父とともに「徳川秀忠」の側近として…詳細を見る -
那波藩/酒井家2万2千5百石:酒井忠能 小諸藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 那波藩 【説明】 豊臣秀吉の「北条征伐」後、関東に入封した「徳川家康」は「松平家乗」に上野国那波郡内1万石を与えた。これが那波藩の立藩である。家乗は慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で三河吉田城…詳細を見る -
総社藩/秋元家1万5千石:秋元泰朝 幕末前に甲斐谷村藩に加増移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 総社藩 【説明】 後北条氏の遺臣で徳川家の譜代家臣となった「秋元長朝」が1万石で入った。長朝は地元の領民などの助力を得て総社に新城築城と城下町建設を計画した。これが「総社町」の建設である。さらに新田開…詳細を見る -
館林藩/秋元家6万石:秋元礼朝 新政府軍に恭順し奥羽戦線に派兵した館林藩【幕末維新写真館】
【藩名】 館林藩 【説明】 館林藩は長州藩と縁戚関係にあったため、常陸水戸藩と共に関東における尊皇攘夷派の急先鋒となった。ところがこの親戚関係が幕府からの嫌疑を招き、元治元年(1864年)7月の「禁門の変」の後…詳細を見る -
小幡藩/奥平松平家2万石:松平忠恕 戊辰戦争では早くから新政府軍に恭順して家名を保った小幡藩【幕末維新写真館】
【藩名】 小幡藩 【説明】 上野上里見藩より、若年寄の「松平忠恒」が2万石で入封する。奥平松平家の歴代藩主4人は若年寄、寺社奉行、奏者番などを歴任した。小幡藩は毎年財政難となり藩の借金は、天保15年(1844年…詳細を見る
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