カテゴリー:関東地方
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岩槻藩/大岡家1万8千石:大岡忠恕 江戸薩摩藩邸焼討に参戦するも一転恭順して家名を保った岩槻藩【幕末維新写真館】
【藩名】 岩槻藩 【説明】 岩槻藩は「大岡忠恕」の時代に幕末の動乱に加え天災が重なり、さらには岩槻城の本丸焼失などの不幸が相次いで、財政は破綻寸前となった。このような中で忠恕は慶応2年(1866年)3月29日に…詳細を見る -
忍藩/松平家10万石:松平忠誠 戊辰戦争では新政府軍についた忍藩【幕末維新写真館】
【藩名】 忍藩 【説明】 忍藩3代藩主「松平忠国」は所領10万石のうち5万石を上総・安房に移されたため、異国船の警備を任じられた。嘉永6年(1853年)、ペリー艦隊が来航して幕府に開国要求が迫ると、幕府は短期間…詳細を見る -
川越藩/松平家8万4千石:松平康載 老中の座を辞して新政府軍に恭順した川越藩【幕末維新写真館】
【藩名】 川越藩 【説明】 幕末の藩主「松平康英」は慶応4年(1868年)、新政府軍に恭順することで藩論をまとめ、老中を辞する。その後恭順の意を示そうと上洛するが、新政府軍に近江国の飛地領2万石を没収の上で謹慎…詳細を見る -
下総三浦藩/三浦家1万石:三浦重勝 無嗣改易のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 下総三浦藩 【説明】 天正18年(1590年)8月、豊臣秀吉の「北条征伐」後に「徳川家康」は関東に移封され、家臣の「三浦重成」は上総国山辺郡・下総国印旛郡などに1万石の所領を与えられ、下総三浦藩を立藩…詳細を見る -
舟戸藩/本多家1万5千石:本多正永 沼田藩・駿河田中藩へ移封のため飛地となる【幕末維新写真館】
【藩名】 舟戸藩 【説明】 元禄元年(1688年)、本多正貫の孫の正永が寺社奉行になり1万石に加増されて大名となった。そして「舟戸藩」が立藩された。正永は元禄14年(1701年)に上総・下総国内において5000…詳細を見る -
栗原藩/成瀬家1万6千石:成瀬之虎 無嗣断絶にて改易の上廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 栗原藩 【説明】 元和2年(1616年)、「成瀬正成」は尾張藩主となった家康の九男「徳川義直」の付家老となったため陪臣扱いとされた。所領下総や各地に分散していたが尾張犬山へ移された。この時、正成の次男…詳細を見る -
曾我野藩/戸田家1万1千2百石:戸田忠綱 明治初期に下野高徳藩から移封により立藩【幕末維新写真館】
【藩名】 曾我野藩 【説明】 曽我の地は江戸時代を通じて幕府直轄領であった。明治2年の「廃藩置県」により葛飾県の管轄となり、明治3年(1870年)3月には、下野国高徳藩知事であった「戸田忠綱」が曾我野に移封とな…詳細を見る -
岩富藩/北条家1万石:北条氏重 下野富田藩に移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 岩富藩 【説明】 北条氏勝は天正18年(1590年)、豊臣秀吉による「小田原征伐」の際に「玉縄城」で善戦したが、本多忠勝や榊原康政の説得を受けて徳川家康に降伏し、やがて家康の家臣となった。この氏勝が小…詳細を見る -
臼井藩/酒井家3万石:酒井家次 上野国高崎藩に加増移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 臼井藩 【説明】 戦国時代、臼井の地は千葉氏の家臣「原氏」が治めていた。豊臣秀吉の「小田原征伐」で原氏が滅亡した後、徳川家康が関東に入封し、三河国吉田城主「酒井家次」が3万石で臼井に入り、臼井藩を立藩…詳細を見る -
下総飯田藩/青山家1万石:青山成重 大久保長安事件の連座で廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 下総飯田藩 【説明】 徳川氏譜代の家臣である「青山成重」は慶長8年(1603年)12月25日、下総国内において5000石を加増され1万石の大名となった。そして下総飯田藩を立藩した。 しかし成重は…詳細を見る -
矢作藩/三浦家1万石:三浦正次 下野壬生藩に移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 矢作藩 【説明】 豊臣秀吉の「北条征伐」後、関東に移封された「徳川家康」は、下総国分氏の居城「下総矢作城(大崎城)」に「鳥居元忠」を4万石で入封させた。これが矢作藩の立藩である。 翌年の慶長5年…詳細を見る -
守谷藩/土岐家1万石:土岐定義 摂津高槻藩へ加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 守谷藩 【説明】 徳川家康の家臣として甲斐国巨摩郡切石1万石を領していた「菅沼定政」は、豊臣秀吉の「北条征伐」後に主君「家康」が関東へ移封になると、北条家に加わって改易された下総相馬氏の旧領である相馬…詳細を見る -
下総山崎藩/岡部家1万2千石:岡部長盛 丹波亀山藩へ加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 下総山崎藩 【説明】 天正18年(1590年)の小田原征伐後、関東に入封した「徳川家康」は譜代の家臣「岡部長盛」に下総国葛飾郡山崎(千葉県野田市山崎)1万2000石を与えた。これが下総山崎藩の立藩であ…詳細を見る -
大輪藩/土井家1万石:土井利直 継嗣問題で減封の上廃藩 旗本となる【幕末維新写真館】
【藩名】 大輪藩 【説明】 古河藩主として有名な「土井利勝」の五男「土井利直」は正保元年(1644年)9月、父の遺領から5000石を相続する。万治元年(1658年)9月、兄の「土井利隆」の子「土井利重」が宗家を…詳細を見る -
下野山川藩/太田家1万5千6百石:太田資宗 三河国西尾藩へ移封とり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 下野山川藩 【説明】 太田重正の次男「太田資宗」は「徳川家光」に仕えて5600石の旗本となった。さらに「松平信綱」や「阿部重次」「三浦正次」「阿部忠秋」「堀田正盛」と並んで家光側近六人衆の一人にまで栄…詳細を見る -
生実藩/森川家1万石:森川俊方 戊辰戦争ではいち早く新政府に恭順した生実藩【幕末維新写真館】
【藩名】 生実藩 【説明】 「生実」は元々「小弓」と書かれ、戦国時代初期に古河公方の後継者争いに敗れた「足利義明」が千葉氏の重臣原氏の居城だった「小弓城」を奪って主城とし「小弓公方」を名乗った。 …詳細を見る -
多胡藩/久松家1万石:久松勝行 九十九里真忠組の乱鎮圧で功績があった多胡藩【幕末維新写真館】
【藩名】 多胡藩 【説明】 幕末期の多胡藩主は「松平勝行」で九十九里「真忠組」の反乱鎮圧で功績を挙げた。戊辰戦争が勃発すると勝行は徳川幕府との決別を示すために松平姓から元の久松姓に戻した。 翌年の「版籍奉…詳細を見る -
佐倉藩/堀田家11万石:堀田正倫 藩主不在の中新政府軍に恭順し改易を逃れた佐倉藩【幕末維新写真館】
【藩名】 佐倉藩 【説明】 現在の印旛郡酒々井町には下総守護千葉氏の家系に連なる佐倉千葉氏の居城「本佐倉城」があるが、江戸時代の佐倉城とは別である。現在の佐倉城は幕府重臣だった「土井利勝」が江戸時代に入ってから…詳細を見る -
小見川藩/内田家1万石:内田正学 西南戦争にも参戦した小見川藩最期の藩主 内田正学【幕末維新写真館】
【藩名】 小見川藩 【説明】 幕末期の小見川藩では慶応4年(1868年)3月、脱藩藩士による蜂起が起こるなどして藩内は混乱した。小見川藩としては佐幕派として芝増上寺の警護を務めていたが、慶応4年(1868年)の…詳細を見る -
高岡藩/井上家1万石:井上正順 新政府に恭順し家名を保った高岡藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高岡藩 【説明】 慶応4年(1868年)の「戊辰戦争」では新政府に従い、藩主「井上正順」は従五位下・宮内少輔に叙位任官する。その後、「版籍奉還」により高岡藩知事になり、廃藩置県で藩知事を免職となった。…詳細を見る
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