カテゴリー:関東地方
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館山藩/稲葉家1万石:稲葉正巳 幕府要職を歴任した名君を排出した館山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 館山藩 【説明】 寛政元年(1789年)7月、「稲葉正明」は隠居して嫡子の「稲葉正武」が後を継いだ。そして寛政3年(1791年)、城山の南麓に「館山陣屋」が建設されている。文化9年(1812年)3月に…詳細を見る -
安房勝山藩/酒井家1万2千石:酒井忠美 戊辰戦争では一部の藩士が人見勝太郎の旧幕府軍遊撃隊に参加した安房勝山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 安房勝山藩 【説明】 安房勝山藩は現在の千葉県安房郡鋸南町勝山に藩庁を置いた藩である。いくつかの大名家を経て酒井氏(若狭小浜藩分家)が藩主となり、明治維新まで9代にわたって存続した。安房勝山藩の石高は…詳細を見る -
赤沼藩(赤松藩)/内藤家1万5千石:内藤正友 信濃国岩村田藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 赤沼藩(赤松藩) 【説明】 内藤正勝は武蔵国比企郡をはじめ、常陸国・下総国・上野国・上総国などで5000石を領していた。元禄6年(1693年)11月28日、正勝は大坂城番に転身したため、新たに摂津国や…詳細を見る -
六浦藩(武州金沢藩)/米倉家1万2千石:米倉昌言 戊辰戦争ではいち早く新政府軍に恭順【幕末維新写真館】
【藩名】 六浦藩(武州金沢藩) 【説明】 金沢文庫で知られる久良岐郡金沢付近の六浦に陣屋を置いたため「武州金沢藩」や「武蔵金沢藩」とも呼ばれる。藩庁は六浦陣屋に置かれた。慶応3年(1867年)末、横須賀製鉄所の…詳細を見る -
喜多見藩/喜多見家2万:喜多見重勝 一族の刃傷沙汰に連座して改易の上廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 喜多見藩 【説明】 天正18年(1590年)の「小田原征伐」で北条氏が敗北すると、「江戸勝忠」は「徳川家康」の家臣となり、姓を喜多見に改め、以降は喜多見勝忠と名乗った。貞享2年(1685年)に将軍の側…詳細を見る -
鳩ヶ谷藩/阿部家3万石:阿部正次 上総国大多喜藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 鳩ヶ谷藩 【説明】 小田原征伐後、関東に入封した「徳川家康」は、譜代の家臣「阿部正勝」に鳩ヶ谷で5000石を与えた。慶長5年(1600年)4月に正勝は大坂で死去し、後を子の「阿部正次」が継いだ。正次は…詳細を見る -
一宮藩/加納家1万3千石:加納久宜 幕末時は新政府軍に恭順した一宮藩【幕末維新写真館】
【藩名】 上総一宮藩 【説明】 第4代藩主「加納久宜」は「戊辰戦争」のとき、新政府側に与した。当初は鳥羽伏見の戦いに参戦するため海路京都へと向かったが、途中大時化にあい断念した。明治2年(1869年)の「版籍奉…詳細を見る -
原市藩/西尾家1万2千石:西尾忠永 上野国白井藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 原市藩 【説明】 小田原征伐後に関東に入封した「徳川家康」は、尾張国出身の譜代の家臣「西尾吉次」に5000石を与えた。慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」でも戦功を挙げた吉次は、慶長7年(1602…詳細を見る -
武蔵小室藩/伊奈家1万3千石:伊奈忠勝 忠勝が夭折したため無嗣断絶にて廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 武蔵小室藩 【説明】 豊臣秀吉による「小田原征伐」後、関東に入封した「徳川家康」は、譜代の家臣「伊奈忠次」に小室1万3000石を与えた。これが小室藩の立藩である。(現在の伊奈氏館跡) 忠…詳細を見る -
石戸藩/牧野家1万1千石:牧野信成 下総国関宿藩に加増移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 石戸藩 【説明】 石戸藩は、現在の埼玉県上尾市北西部から鴻巣市南西部にかけてを統治した藩である。領内の川田谷(現在の桶川市川田谷)に陣屋を設置した。 石戸藩祖は「牧野信成」である。牧野氏には同姓…詳細を見る -
久喜藩/米津家1万1千石:米津通政 出羽長瀞藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 久喜藩 【説明】 譜代大名の「米津政武」が武蔵国久喜に領地を与えられ陣屋を設置し久喜藩が立藩される。 寛政10年(1798年)7月、5代藩主「米津通政」が武蔵国内の所領6400石を出羽国村山郡内…詳細を見る -
高坂藩(掛塚藩)/加賀爪家1万3千石:加賀爪直清 成瀬家との領地争いにより廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高坂藩(掛塚藩) 【説明】 「加々爪忠澄」は「関ヶ原の戦い」、「大坂の陣」で武功を挙げたため、加増を受けて寛永10年(1633年)に9500石を与えられた。忠澄の後を継いだ「加々爪直澄」は「徳川家光」…詳細を見る -
野本藩/渡辺家1万3千5百石:渡辺基綱 大庭寺藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 野本藩 【説明】 野本藩初代藩主の「渡辺吉綱」は「槍半蔵(渡辺守綱)」の孫で4代将軍「徳川家綱」の側用人を務めたのち、寛文元年(1661年)に大坂定番となり、河内・和泉両国に1万石を加増されて大名に列…詳細を見る -
武蔵松山藩/松平家3万石:松平忠頼 遠江国浜松藩に加増移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 武蔵松山藩 【説明】 「豊臣秀吉」の「北条征伐」後に「徳川家康」が関東入国すると、天正18年(1590年)に「松平家広」が武蔵松山1万石を与えられて武州松山藩を立藩した。のちに3万石に加増された。しか…詳細を見る -
騎西藩(私市藩)/大久保家2万石:大久保忠職 美濃加納藩へ加増移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 騎西藩(私市藩) 【説明】 豊臣秀吉の「北条征伐」後、関東に入った「徳川家康」は松井松平家の「松平康重」に騎西2万石を与えて騎西藩(私市藩)が立藩された。慶長6年(1601年)11月、康重は常陸国笠間…詳細を見る -
深谷藩/酒井家5万石:酒井忠勝 川越藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 深谷藩 【説明】 元和8年(1622年)、「酒井忠勝」が1万石で入封し「深谷藩」が立藩される。忠勝は寛永元年(1624年)8月、上総・武蔵・下総国内に2万石を加増され、老中に列せられる。 …詳細を見る -
岡部藩/安部家2万2250石:安部信発 幕末の動乱の中三河国半原藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 岡部藩 【説明】 安部氏の歴代藩主の多くは、大坂定番・加番などを務めている。第7代藩主「安部信允」も大坂定番を務め、藩校「就将館」を設置している。幕末の藩主「安部信宝」は「高島秋帆」の身柄を預かり、ま…詳細を見る -
八幡山藩/松平家1万石:松平家清 三河国吉田に加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 八幡山藩 【説明】 豊臣秀吉の北条征伐後に「徳川家康」が関東に入封し、江戸城に本拠を構えると、「松平家清」に児玉郡八幡山1万石を与え、八幡山藩を立藩させた。藩政は父「松平清宗」が専任し、家清は天正19…詳細を見る -
本庄藩/小笠原家1万石:小笠原信之 下総古河藩へ加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 本庄藩 【説明】 「小笠原信嶺」が本庄城の新城主として当地を治めたが、入城してから8年目の慶長3年(1598年)に死去し、その家督を継いだ「小笠原信之」が本庄藩初代藩主となった。 信之は徳川四天…詳細を見る
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