カテゴリー:北陸・信越地方
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田野口藩(竜岡藩五稜郭)/松平家1万5千石:松平乗謨 函館五稜郭と並び龍岡五稜郭を築城した龍岡藩【幕末維新写真館】
【藩名】 田野口藩(竜岡藩五稜郭) 【説明】 文久3年(1863年)、「松平乗謨」は信濃国への陣屋移転と新築許可を徳川幕府から得る。そして以降、田野口藩を名乗ることになる。西洋築城術に関心を寄せていた乗謨は、新…詳細を見る -
上田藩/松平家5万3千石:松平忠礼 新政府軍に与して北越戦争や会津戦争に参戦した上田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 上田藩 【説明】 安政6年(1859年)、「松平忠固」が死去するとその嫡子「松平忠礼」が跡を継いだ。ところが父「忠固」が幕政に参与して藩政を顧みなかったために藩財政は悪化し、藩内では藩政の主導権をめぐ…詳細を見る -
小諸藩(越後国長岡藩支藩)/牧野家1万5千石:牧野康済 赤報隊と戦闘し新政府に罰せられた小諸藩【幕末維新写真館】
【藩名】 小諸藩(越後国長岡藩支藩) 【説明】 元禄15年(1702年)に越後国与板藩より「牧野康重」が1万5千石で入封する。慶応2年(1866年)、幕末最後の藩主となった「牧野康済」の時に「小諸騒動」が起こる…詳細を見る -
松本藩/松平家6万石:松平光則 天狗党の乱・北越戦争・会津戦争へ参戦した松本藩【幕末維新写真館】
【藩名】 松本藩 【説明】 幕末の松本藩は、安政2年(1855年)藩主「松平光則」によって財政・軍制を中心とした藩政改革が行なわれた。「天狗党の乱」では元治元年(1864年)11月に諏訪藩兵と共に中山道の和田峠…詳細を見る -
飯田藩/堀家1万5千石:堀親義 佐幕派の家臣を新政府に差し出し恭順した飯田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 飯田藩 【説明】 第10代藩主「堀親寚」は水野忠邦の「天保の改革」で幕閣の一人となり、奏者番・寺社奉行・若年寄・老中などを歴任して7千石を加増された。しかし、水野失脚に伴い7千石は没収の上、本高3千石…詳細を見る -
高遠藩/内藤家3万3千石:内藤頼直 新政府軍に与して北越戦争・会津戦争に参戦した高遠藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高遠藩 【説明】 鳥居家が改易となり、高遠藩領はしばらく幕府直轄地となっていた。元禄4年(1691年)、河内富田林藩より「内藤清枚」が3万3千石で入封し再び高遠藩が立藩された。第2代藩主「頼卿」の時代…詳細を見る -
敦賀藩(小浜藩支藩)/酒井家1万石:酒井忠経 本家小浜藩と違い一貫して新政府軍に与した敦賀藩【幕末維新写真館】
【藩名】 敦賀藩(小浜藩支藩) 【説明】 敦賀藩は天和2年(1682年)、小浜藩の第2代藩主「酒井忠直」の次男の「酒井忠稠」が父の遺領のうち越前敦賀郡・近江高島郡において1万石を分与されたことに始まる藩である。…詳細を見る -
丸岡藩/有馬家5万石:有馬道純 いち早く新政府軍に恭順して家名を保った丸岡藩【幕末維新写真館】
【藩名】 丸岡藩 【説明】 丸岡城は戦国時代には「織田信長」の武将「柴田勝家」の養子「柴田勝豊」が治めていた。元禄8年(1695年)に譜代大名の本多家が幕命により改易されると、代わって戦国時代にキリシタン大名で…詳細を見る -
富山藩(加賀藩支藩)/前田家10万石:前田利同 加賀藩宗家から迎えられた最後の藩主前田利同【幕末維新写真館】
【藩名】 富山藩(加賀藩支藩) 【説明】 寛永16年(1639年)、加賀藩第3代藩主「前田利常(前田利長の弟)」が隠居するとき、次男の「前田利次」に富山10万石を、三男の「前田利治」に大聖寺7万石の分与し、富山…詳細を見る -
大聖寺藩(加賀藩支藩)/前田家10万石:前田利鬯 鳥羽・伏見の戦い敗戦後佐幕一色から新政府軍に恭順した大聖寺藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大聖寺藩(加賀藩支藩) 【説明】 寛永16年(1639年)、加賀藩の第3代藩主「前田利常」が隠居する際、次男の利次に富山10万石を、三男の利治に大聖寺7万石を分与して、富山藩と大聖寺藩が立藩された。3…詳細を見る -
加賀藩(金沢藩)/前田家102万5千石:前田慶寧 鳥羽・伏見の戦い以降方針を新政府側へ決めた加賀藩【幕末維新写真館】
【藩名】 加賀藩 【説明】 幕末時の加賀藩は藩父「前田斉泰」と世子「前田慶寧」が佐幕派と尊皇派に分かれて対立した。斉泰は「禁門の変」に兵を送ったが、士気も上がらずなすすべもなく兵を退いた世子「前田慶寧」を叱責の…詳細を見る -
七尾藩/前田家21万5千石:前田利政 関ヶ原の戦いで西軍に与したため改易 兄利長に吸収された七尾城【幕末維新写真館】
【藩名】 七尾藩 【説明】 「織田信長」や「豊臣秀吉」に仕えていた「前田利家」は加賀藩100万石を築き上げた。利家は長男「前田利長」に家督と加賀の所領を与え、次男「前田利政」に能登七尾21万5000石を分与していた。利…詳細を見る -
信濃中村藩/岩城家2万石:岩城吉隆 出羽亀田藩に加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 信濃中村藩 【説明】 慶長19年(1614年)の「大坂の陣」で、「岩城貞隆」は本多正信の軍に属して功績を挙げたことから、元和2年(1616年)7月、「松平忠輝」が改易された後、その旧領のうちから1万石…詳細を見る -
近藤藩/近藤家1万石:近藤重直 近藤政成が死去し重直が跡を継ぐが幼少のため減封の上廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 近藤藩 【説明】 慶長15年(1610年)、「近藤政成」が信濃高井郡5千石、美濃国4郡において5千石の合わせて1万石を領したことから近藤藩が成立した。政成は「織田信長」に寵愛されたことで有名な「堀秀政…詳細を見る -
高井野藩/福島家4万5千石:福島正利 福島正則の末子正利が死去し無嗣断絶となった福島家【幕末維新写真館】
【藩名】 高井野藩 【説明】 元和5年(1619年)、「福島正則」は広島城の無断修築を「武家諸法度」違反として罰せられ、信濃国高井郡2万石と越後国魚沼郡2万5千石の合わせて4万5千石へと減封の上移封となった。こ…詳細を見る -
奥仁科藩(松本藩支藩)/石川家1万5千石:石川康勝 大久保長安事件に連座して改易された松本藩と奥仁科藩【幕末維新写真館】
【藩名】 奥仁科藩(松本藩支藩) 【説明】 「石川数正」の死後、家督は長男「石川康長」が継いだが、康長は所領のうち1万5千石を弟の「石川康勝」に、5千石を「石川康次」にそれぞれ分与した。康勝はこの分与により奥仁…詳細を見る -
高井藩(尾張藩支藩)/松平家3万石:松平義行 領地換えにより高須藩が立藩されて廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高井藩(尾張藩支藩) 【説明】 尾張徳川家の第2代当主徳川光友の次男「松平義行」は、天和元年(1681年)8月13日に信濃国伊那郡・高井郡・水内郡内において父より3万石を分与され、高井藩を立藩した。義…詳細を見る -
長沼藩/佐久間家1万8千石:佐久間盛遠 仮病で出仕しなかった罪で改易された長沼藩【幕末維新写真館】
【藩名】 長沼藩 【説明】 元和元年(1615年)、「大坂の陣」の戦功により「佐久間勝之」が1万8千石で入封する。 寛永11年(1634年)に勝之は死去し、その跡を次男の「佐久間勝友」が継いだ。このとき、勝友は…詳細を見る -
坂木藩/板倉家3万石:板倉重寛 陸奥福島藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 坂木藩 【説明】 天和2年(1682年)2月、「板倉重種」が蟄居することで坂木藩が成立した。重種は武蔵岩槻藩6万石の藩主で老中を務めていたが、天和元年(1681年)に罷免されて蟄居を命じられた。蟄居の…詳細を見る -
埴科藩(松代藩支藩)/真田家1万7千石:真田信重 嗣子がないことで松代藩に吸収され廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 埴科藩(松代藩支藩) 【説明】 松代藩主「真田信之」の次男の「真田信政」が、慶長17年(1622)年に1万7千石を分与さ埴科藩が立藩した。寛永16年(1639年)6月、信政が上野国沼田藩へ移封されると…詳細を見る
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