三吉慎蔵 宛
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今月朔日兵庫出帆、同二日土佐ニ帰り、一昨夜土佐出帆、今日馬関ニ来ル」扨、京師の時勢ハ大様の所ハ御聞取も可在之候得共、一通申上候」薩此頃─大島吉之助等─決心、幕と一戦相心得候得ども、土佐後藤象二郎が今一度上京をまち居申候。先頃私、後藤象二郎上京して西郷小松と大ニ約し候事有之候故ナリ。─後藤象二郎者今月十七日出京─私事ハ是より長崎へ出候て、蒸気船を求候て、─使者又ハ飛脚ニ用ヒ候為小ナル蒸気ナリ。─早々上京と相心得申候」思ふニ一朝、幕と戦争致し候時ハ、御本藩御藩薩州土佐の軍艦をあつめ一組と致し、海上の戦仕候ハずバ、幕府とハとても対戦ハ出来申すまじく、御うち合も仕度候得ども何レ長崎よりかへりニ致し可申か」近日京師の戦ニ出候人ニハ少々御出し被成、地利など御見合可然と奉存候」私の船ハ夕方のしおに下り可申」何レ近日、先者草々、謹言。十四日龍馬三吉慎蔵先生坂本龍馬左右 |
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今月の1日兵庫を出港し、同2日土佐に帰り、一昨夜(12日)土佐を出港し、今日また馬関(下関)に来た。さて、京都の情勢はおおよそのことはお聞きかと思いますが、一応書かせて頂きます。薩摩藩はこの頃大島吉之助(西郷隆盛の変名)等が決心し、幕府と一戦も辞せぬ覚悟でいるが、土佐の後藤象二郎の上京を待っている。そして、先日後藤象二郎が上京して、西郷と小松(小松帯刀)の二方と、共に事に当たる約束をした。(後藤象二郎は今月17日に京都へ出てきた)私はこれから長崎へ戻り、蒸気船を求めて(輸送船で小さい船)早々に上京することになりました。思うに、幕府と戦争する時は、長州・長府藩、薩摩藩、土佐藩の軍艦を集めて一組とし、海上での戦いを行えば、幕府と言えども対戦は出来ないであろうと打ち合わせはしたが、何れ長崎へ帰ってからのことか。京都の戦に参加する時は小人数を出して、地形などを調べさせた方が良い。私の船は夕方頃出発します。何にしても近日中にまずは早々に。14日龍馬三吉慎蔵先生(長府藩士)坂本龍馬 |
坂本龍馬の手紙139通(現代翻訳文)一覧
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