寺田屋伊助 宛
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拝啓。益御安泰奉大賀候。然るニ私儀此頃老主人よりよび帰しニ相成候て、国許ヘハ不帰、其ま〃長崎ニ於て、兼而召つれ候人数を御あづけ被申ことにて、私おして海援隊長と申付、則長崎ニて一局─がくもんじょナリ─を開キ諸生のセ話致し申候。此頃主人の用物を大坂ニ送り候道にて、備後箱の岬のおきニて紀州明光丸と申船─蒸気船也─が、私の船の横に乗掛候て、不計も私しの船ハ沈没仕候間─ウミのそこにしづみたり─、是より又長崎の方へ帰り申候。此度の事ハ紀州ハ何故の勢にや、あまり無礼なる事ニて私の人数及便船かりなど鞆の港にほりあげ、主人の急用ありとて長崎の方へ出帆仕候。船のものハ申ニ及バず便船かりも皆金も何も伏見宝来橋京橋の回船宿寺田屋伊助様大浜濤次郎事才谷梅太郎事取巻抜六御直披遠目鏡一つ時計一面添 |
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拝啓。ますますご健勝のことかと思います。さて、私たちの主人(山内容堂)からのご命令で国許へは帰れません。このまま長崎にいてかねて召し連れていた人数を預けると言われ、つまり、私を海援隊隊長として長崎で学問所を開き、諸生の世話をするとのこと。この頃、主人(山内容堂)の御用の者を大阪へ送る途中に、備後箱の岬(鞆の浦付近)で紀州藩の明光丸という輸送船が私たちの船の横へ乗りかけました。はからずも私の船は沈没してしまいまいして、これからまた長崎のへ方へ帰ります。この度の事は、紀州藩はあまりにも無礼なことで、私たち及び荷物などを鞆の港にほうり上げて、主人の急用といい長崎へ帰って行きました。船の物は言うに及ばず、借りた輸送船も金も何も(以下原書ナシ)伏見宝来橋京橋の回船宿寺田屋伊助様大浜濤次郎事(龍馬変名)才谷梅太郎事(龍馬変名)取巻抜六(龍馬変名:取り巻かれた寺田屋を抜け出したから)望遠鏡一つ時計一つ添える |
坂本龍馬の手紙139通(現代翻訳文)一覧
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