松山城:加藤嘉明により築城 国指定重要文化財の連立式天守が美しい伊予松山城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
松山城

【松山城の説明】
松山城は愛媛県松山市にあった城である。別名を金亀城(きんきじょう)勝山城(かつやまじょう)と呼ばれ「日本三大平山城」にも数えられている。山頂にある天守は日本の12ヶ所に存在する天守の一つである。各地の松山城と区別するため「伊予松山城」とも呼ばれる。

慶長7年(1602年)に伊予国正木城(松前)城主「加藤嘉明」が関ヶ原の戦いの戦功により10万石から20万石に加増され、家臣の「足立重信」を城普請奉行に任命し平山式の城の築城に着手した。そして、この地を「松山」と呼ぶことに決め公式に松山という地名が誕生した。

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しかし、嘉明は寛永4年(1627年)は会津藩への転封が決まり、変わって「蒲生忠知(蒲生氏郷の孫)」が、24万石にて松山藩主になる。寛永11年(1634年)8月、忠知が参勤交代の途中に急死し蒲生家が断絶した為、大洲藩主「加藤泰興」が松山城を預かり松山城在番となる。

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寛永12年(1635年)7月に「松平定行」が15万石にて入封し明治維新まで松平家がこの地を治めることになる。山頂の本丸北部には本壇という天守曲輪を持ち、大天守と小天守・南隅櫓・北隅櫓を3棟の渡り廊下で連結し連立式天守をなしている。

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現在は、城跡の主要部分が公園として整備され、天守を含む21棟の建造物が現存し、それぞれ国の重要文化財に、城郭遺構は国の史跡に指定されている。

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※伊予松山城は日本100名城81番に選定されている。






【松山城・場所・アクセス】
〒790-0008 愛媛県松山市丸之内1

【松山城地図】



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