【城名】
芥川山城
【城の説明】
芥川山城は大阪府高槻市にあった戦国時代の山城である。織田信長が「足利義昭」を擁して上洛する前に、畿内に覇をとなえた三好長慶が拠点としていた。
永正年間に、室町幕府の管領、細川高国配下の能勢氏が西国勢と北摂武士団への備えとして築いた城砦にはじまるとされますが、本格的な山城となったのは、天文22年(1553)阿波から攻め上がってきた三好長慶が管領細川晴元を擁し入城した時といわれている。
けわしい地形を巧みに利用して土橋や土塁・石垣を随所に構築し、山頂に主郭、正面に大手門を配置した壮大な作りだったという。その後、長慶は細川晴元を追放し永禄3年(1560年)に、河内の飯盛城に移るまでこの地を拠点に畿内一帯を支配した。長慶の後、嫡子の「三好義興」が城主となるが、永禄6年(1563年)に死去する。その後義興のあとをおうかのように長慶も病死してしまう。
その後の芥川山城は三好三人衆の一人「三好長逸」が城主として在城していたようである。しかし、永禄11年(1568)の織田信長の摂津進攻により三好一族は放逐され、和田惟政が城主として任命される翌年には惟政が高槻城へ移り、芥川山城は廃城とされた。
現在は石垣の跡や本丸跡しか残っておらず、その概要は地形でしか確認することが出来ない。
【芥川山城・場所・アクセス】
大阪府高槻市原
【芥川山城地図】
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2017年 10月 16日
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