【藩名】
岡田藩
【説明】
藩主家の伊東氏は日向国飫肥藩主の伊東氏と同族である。藩祖「伊東長実」は豊臣秀吉・秀頼に仕えて「大坂の陣」まで豊臣氏の家臣であった。関ヶ原の戦いに際し、上方での石田三成挙兵の報をいち早く「徳川家康」に伝えたとされる。「大坂の陣」では子の長昌と「豊臣秀頼」に従い家康に敵対し、大坂城に籠城するも戦後許されている。元和元年(1615年)、備中国下道郡・美濃国池田郡・摂津国豊島郡・河内国高安郡の各郡内にて1万343石を与えられ岡田藩を立藩した。
慶応4年(1868年)1月23日、新政府の要請に応じて上洛し新政府支持の姿勢を示す。戊辰戦争が勃発すると岡山藩と共に新政府軍に与して、幕府軍側の備中松山藩の討伐に加わる。明治2年(1869年)6月23日、版籍奉還により岡田藩知事となり、明治4年(1871年)7月、廃藩置県により藩知事を免官となり、東京に移った。
【場所・アクセス・地図】
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