【藩名】
丸岡藩
【説明】
丸岡城は戦国時代には「織田信長」の武将「柴田勝家」の養子「柴田勝豊」が治めていた。元禄8年(1695年)に譜代大名の本多家が幕命により改易されると、代わって戦国時代にキリシタン大名で有名だった「有馬晴信」の曾孫「有馬清純」が越後糸魚川藩から5万石で入封する。
第2代藩主「有馬一準」の時代になると外様大名から譜代大名へ格上げされた。慶応4年(1868年)には新政府にいち早く恭順したため家名を保った。明治2年(1869年)6月、幕末の当主「有馬道純」は「版籍奉還」により丸岡藩知事となり、明治4年(1871年)9月の「廃藩置県」により丸岡藩は廃藩となった。
【場所・アクセス・地図】
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