【藩名】
糸魚川藩
【説明】
第7代藩「松平直廉」は「安政の大獄」で家督を追われた「松平慶永」に代わって越前松平家(宗家)を継ぐこととなる。このため、糸魚川藩には播磨明石藩から「松平直静」が第6代藩主「松平直春」の養嗣子となって家督を継いだ。
明治2年(1869年)の「版籍奉還」にて直静は清崎藩知事となる。同年8月、糸魚川藩は正式に清崎藩と改められたが、同年は「巳年の困窮」とまで言われた不作により林騒動や二歩金騒動が起こった。明治4年(1871年)の「廃藩置県」で清崎藩は清崎県となった。
【場所・アクセス・地図】
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。