【藩名】
真壁藩
【説明】
慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で、「浅野幸長」は東軍に与して戦功を挙げたため、甲斐国から紀伊国紀州藩37万6500石に加増移封された。幸長の父「浅野長政」は慶長10年(1605年)に隠居して家督を譲っていたが、隠居料として幕府から常陸真壁などに5万石を与えられた。これが真壁藩の立藩である。
長政は慶長16年(1611年)4月7日、65歳で死去し、その所領は三男の「浅野長重」が継いだ。長重は「大久保忠隣」改易のときの小田原城受け取りや「大坂の陣」で武功を挙げ、「本多正純」改易後の宇都宮城守備などでも功績を挙げたため、これらの功績を評価されてさらに加増を受ける。
しかし長重は父「浅野長政」の菩提寺(真壁郡桜井村の伝正寺)のある所領統治を望んだため、3500石を加増の上で笠間藩へ加増移封した。ここに真壁藩は廃され、その所領は笠間藩領として併合された。
【場所・アクセス・地図】
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