【藩名】
那須藩
【説明】
慶安元年(1648年)、無嗣断絶とされた信濃国小諸藩主「松平憲良」の弟「松平康尚」が名跡の継承を許されて那須城へ1万石で入封し、那須藩が再立藩された。翌慶安2年(1649年)、康尚は伊勢国長島藩へ移封となり那須藩は再び廃藩となった。
無嗣断絶のため改易され5千石の旗本となっていた那須氏の家中では「那須資景」の後継ぎをめぐって50人組と20人組が争った結果、50人組が擁する那須資祗(増山正利の弟)が後を継ぐことになった。寛文4年(1664年)、資祗は1万2千石の大名となったため那須藩を再び立藩した。
第4代将軍「徳川家綱」の母「宝樹院」は資祗の姉に当たったため、資祗はその権威のお陰で天和元年(1681年)、8千石の加増の上で烏山藩への復帰を許され再度那須藩は廃藩となった。
【場所・アクセス・地図】
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