【藩名】
館林藩
【説明】
館林藩は長州藩と縁戚関係にあったため、常陸水戸藩と共に関東における尊皇攘夷派の急先鋒となった。ところがこの親戚関係が幕府からの嫌疑を招き、元治元年(1864年)7月の「禁門の変」の後、「秋元志朝」は家督を養嗣子の「秋元礼朝」に譲って強制隠居処分となった。
明治元年(1868年)の「戊辰戦争」では、新政府軍に遅参したことを咎められたが、金2万両を献上したことによりこれを許された。その後、新政府軍の一員として「奥羽征伐」で軍功を挙げた。この戦の功績により1万石の加増を受ける。なお、礼朝は明治2年(1869年)の「版籍奉還」で館林藩知事となり、明治4年(1871年)の「廃藩置県」で館林藩は廃藩となり、館林県、栃木県を経て群馬県に編入された。
榊原家や「徳川綱吉」「徳川清武」など徳川家と深い関係にあった藩でありながら、次々の藩主が代わり安定した藩政を敷くことが出来ず、幕末時も真っ先に新政府軍に恭順する道を選んだ。
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