【藩名】
前橋藩
【説明】
幕末になって時の川越藩主「松平直克」に念願の前橋帰城が許された。足掛け4年におよぶ大規模な築城を経て、慶応3年(1867年)新「前橋城」が完成し、川越藩の石高17万石をもって前橋藩が再立藩したが間もなく「大政奉還」を経て「王政復古の大号令」となる。
「戊辰戦争」が始まり、徳川慶喜が謹慎すると前橋藩はいち早く新政府へ恭順の意を示したが、飛び地領の上総富津では逆に富津陣屋が旧幕府軍に囲まれて家老が自刃した挙句、後になって新政府からは内通を疑われるという事件が起きている。明治4年(1871年)廃藩置県により前橋県となり、その後、群馬県に併呑された。
【場所・アクセス・地図】
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前橋市総社町高井には、前橋城 冠木門が今も残っています。