【城名】
庭瀬城
【庭瀬城の説明】
庭瀬城は岡山県岡山市北区にある平城である。戦国時代に備中の「三村元親」が備前の「宇喜多直家」の侵攻に備える為に築かせたと伝えられている。
天正10年(1582年) 羽柴秀吉の備中高松城水攻めの際に、毛利輝元の国境防衛七城の1つとなり、城主の「井上有景」が8百人の兵を率い守備する。吉川元春、小早川隆景は庭瀬城が孤立した立地であったため、撤退するよう下命したが、有景はその命令に背き秀吉軍との間で激戦が交わされた。
その結果、庭瀬城は落城し「宇喜多秀家」の所領となりしばらくの間は城主不在となる。慶長6年、宇喜多氏の重臣であった「戸川達安」が入城し庭瀬藩を立藩。城を廃して二ノ丸に藩庁を設置し庭瀬陣屋として整備を行った。
そして陣屋とその周辺に陣屋街を形成した。延宝7年(1679年)4代目藩主「戸川安風」が僅か9歳で早世し戸川氏は断絶・改易となった。その後20年間は天領として支配された。
元禄12年(1699年)には「板倉重高」が2万石で入封し幕末まで板倉氏が支配した。現在の庭瀬陣屋跡には清山神社が建立しており、陣屋の遺構として石垣や堀が残されている。
【庭瀬城(庭瀬陣屋)・場所・アクセス】
〒701-0153 岡山県岡山市北区庭瀬829-5
【庭瀬城(庭瀬陣屋)地図】
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