【城名】
与板城
【与板城の説明】
与板城は新潟県長岡市与板町与板にあった山城である。
越後守護代長尾氏の重臣直江家の居城で、当初は本与板城を居城としていたが、天正年間の当主「直江景綱」の時代に現在の場所へ新たに築城し移転した。
この時に「本与板城」が廃城になったのか、以降も暫く使用していたのかは不明である。信綱の代には主家上杉氏の間で「御館の乱」が勃発し、直江信綱は景勝派に属し、同じく景勝派であった黒滝城の「山岸光祐」や赤田城の「斎藤朝信」と共に景虎派の本庄秀綱の栃尾城に対して攻撃を加えている。
この乱の後に与板城主信綱は恩賞に不満を持った「毛利秀広」により「春日山城」にて殺害。直江家には嫡子がいなかったために断絶となるところ、景勝が名門直江家の断絶を惜しみ「樋口兼続」を未亡人のお船の方と結婚させることで家を残した。
その後も与板城は樋口改め「直江兼続」の居城として使われたが、主家の上杉景勝が慶長3年(1598年)、会津に転封となったため与板城は廃城となった。現在、城の遺構として曲輪跡、堀切・土塁・井戸跡、お船の方が用いた清水(おせん清水)などが残っている。
【与板城・場所・アクセス】
〒940-2402 新潟県長岡市与板町与板乙835
【与板城地図】
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