【城名】
鷲津砦
【鷲津砦の説明】
鷲津砦は名古屋市緑区にあった砦で「織田信長」によって築かれ、桶狭間の戦いの前哨戦が行われたことで有名である。合戦の直前に「山口教継」の裏切りにあった信長は大高城への抑えとして鷲津砦・丸根砦を築いた。
そして鷲津砦には守将として「織田秀敏」と「飯尾定宗・尚清」父子が任命された。永禄3年(1560年)今川義元の大軍が尾張へ侵入し鷲津砦と丸根砦を攻撃した。丸根砦には松平元康が、鷲津砦には朝比奈泰朝が大将として指名された。
両砦とも良く善戦したがついに陥落し丸根砦の「佐久間盛重」は討死し、鷲津砦の織田秀敏と飯尾親子は敗走した。信長は清洲城での籠城策を捨て、義元本陣だけを狙う乾坤一擲の策に出た。
信長は両砦陥落の煙を見ると間もなく、間者からの急報を受け桶狭間にて義元本陣を急襲した。そして義元の首を討ち取ったのであった。(桶狭間の戦い)桶狭間の戦いの後、松平元康(徳川家康)は信長と同盟を結び、これにより鷲津砦はそのまま放棄された。
現在の鷲津砦跡は、史跡鷲津砦址の碑が立つ他「鷲津砦公園」として整備されている。
【関連記事】
鷲津砦:桶狭間の戦いの前哨戦で織田秀敏・飯尾親子が守備し陥落した鷲津砦
丸根砦:桶狭間の戦いの前哨戦で今川方の松平元康により攻撃され落城した丸根砦
鳴海城:桶狭間の戦い前に山口教継・教吉親子が信長から寝返った鳴海城
信長公記:桶狭間の戦い(前編)
信長公記:桶狭間の戦い(中編)
沓掛城:今川義元の大軍がこの城から出撃し桶狭間の戦いで敗戦 沓掛城
【鷲津砦・場所・アクセス】
〒459-8001 愛知県名古屋市緑区大高町鷲津山(鷲津砦公園)
【鷲津砦地図】
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