【城名】
苗木城
【苗木城の説明】
苗木城は岐阜県中津川市にあった山城である。
元弘年間に遠山一雲入道・遠山景長親子が、中津川市苗木町の高森山に砦を築いたのが始まりとされている。
その後、天文年間に「遠山正廉」が本格的な改修を加え苗木城の基礎が出来た。戦国時代に入ると織田信長と武田信玄・勝頼との間で岩村城・苗木城を巡って本格的な抗争が始まる。
岩村城、苗木城、明知城(明智城とは別の城)それぞれの遠山氏は常に織田家に従っていたが、元亀3年(1572年)武田家臣「秋山虎繁(信友)」が西進すると岩村城を落としこの辺り一帯を支配下に治めた。これにより苗木城は織田方の最前線に位置することになり、また、遠山一族も分裂した。
天正3年(1575年)には「織田信忠」が岩村城を落とし、東濃諸城を奪還する。本能寺の変の翌年、天正11年(1583年)兼山城主の「森長可」が苗木城を攻撃し城は落城。城主である遠山友忠・遠山友政父子は徳川家康を頼り浜松城に退いた。
その後、苗木城は森氏の所領だったが森氏は川中島へ移封となり、慶長4年(1599年)に「川尻秀長」の所領となった。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いが勃発すると川尻秀長は石田三成の西軍へ味方したため、家康の命を受けた「遠山友政」の攻撃を受けて苗木城は落城。
東軍勝利のあとはそのまま遠山友政が苗木城主となり1万石を領した。以後、代々遠山氏がこの地を領し幕末には12代「遠山友禄」が若年寄に就任している。なお、苗木城の遺構は土塁や石垣、本丸跡などが残っている。
【苗木城・場所・アクセス】
〒508-0101 岐阜県中津川市苗木
【苗木城地図】
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