三崎城:北条早雲の攻撃により落城した三浦義同(道寸)の水軍城 三崎城 【お城特集 日本の歴史】

三崎城/アクセス・場所・地図 北条早雲の攻撃により落城した三浦義同(道寸)の水軍城 三崎城 【お城特集 日本の歴史】

【城名】
三崎城

【三崎城の説明】
三崎城は現在の神奈川県三浦市にあった三浦氏の居城跡である。
同じ半島にある「新井城」とは別に、北条氏が水軍の拠点としての機能を持つ城として改修したのが三崎城である。

三崎城/アクセス・場所・地図 北条早雲の攻撃により落城した三浦義同(道寸)の水軍城 三崎城 【お城特集 日本の歴史】

鎌倉時代後期の三浦氏滅亡後に、「佐原盛時」が築城し三浦氏を称したとされているが詳細は不明である。戦国時代初期に「三浦道寸(義同)」が北条早雲に城を囲まれ、3年にわたる攻防戦を繰り広げたが、ついに陥落して三浦氏は滅亡した。

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以降北条氏の支配する地となるが、一時期は房総半島の里見氏に攻め込まれてこの地を失った。後に「北条氏康」がこの地を奪還すると息子の「氏規」を「三崎城主」とした。

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天正18年(1590年)、豊臣秀吉の北条征伐で北条氏政・氏照兄弟が降伏し北条氏が滅びると三崎城も廃城となった。現在の城跡は宅地化が進み若干の遺構と石碑、看板が残るのみである。






【三崎城・場所・アクセス】
〒238-0235 神奈川県三浦市城山町6-1

【三崎城地図】



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