【城名】
須賀川城
【須賀川城の説明】
須賀川城は福島県須賀川市にあった二階堂氏の平城である。
現在の二階堂神社付近に本丸があったとされている。
1399年(応永6年)、足利満兼が奥羽支配のために派遣した「足利満貞・足利満直」の配下にあった「二階堂行続」による築城が須賀川城の始まりとされている。天正9年(1581年)城主の「二階堂盛義」が死去すると、後室の「大乗院」が城主となり城代の「須田盛秀」が実務を遂行した。
この頃から伊達氏との対立が深まり、伊達政宗が須賀川城へ攻め寄せるも「佐竹義重」が援軍に訪れこの攻撃を撃退している。天正15年(1587年)には再び伊達家からの攻撃を受けるも会津の蘆名氏と二階堂氏が共同で政宗の軍を撃退した。しかし、徐々に二階堂氏内部では伊達派と佐竹派に別れ勢力を弱めていった。
天正17年(1589年)、この機を逃さず政宗は軍を起こし二階堂氏はこれを持ちこたえることが出来ず、「大乗院」は佐竹義重を頼って退去した。政宗は須賀川の城を伯父にあたる「石川昭光」に与えた。
天正18年(1590年)関東の北条征伐を終えた「豊臣秀吉」は奥州の仕置を行い、伊達家の会津領は没収され「蒲生氏郷」に与えられ、須賀川の地もこれに組み込まれた。須賀川城代には氏郷配下の「田丸具直」が任命された。
慶長3年(1598年)上杉景勝が越後から会津へ移封となり須賀川一帯は家臣の「栗田国時」が愛宕山城を拠点に統治した。慶長5年(1600年)関ヶ原の戦い以降、上杉家は米沢城へ30万石で減封され「蒲生秀行」が会津藩主となる。秀行は家臣の蒲生郷成に須賀川城代を命じた。
寛永4年(1627年)蒲生氏が転封されると「加藤嘉明」が会津藩主となり、この時須賀川城も廃城となった。現在は愛宕山城跡が公園として整備されている他、須賀川城跡は市街地として区画整備されその遺構はあまり残っていない。
【須賀川城・場所・アクセス】
〒389-0822 長野県千曲市大字上山田字城山
【須賀川城地図】
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