高水寺城(郡山城):斯波御所とまで称された斯波氏を南部信直が攻略 南部氏の支配下に置かれた高水寺城【お城特集 日本の歴史】

高水寺城(郡山城):斯波御所とまで称された斯波氏を南部信直が攻略 南部氏の支配下に置かれた高水寺城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
高水寺城(郡山城)

【高水寺城(郡山城)の説明】
高水寺城は別名「郡山城」と呼ばれ岩手県紫波郡紫波町にあった城である。
鎌倉時代後期・室町時代初期に「足利尊氏」が奥州管領として「斯波高経」の嫡男「斯波家長」を城主としたことに始まると言われている。

高水寺城(郡山城):斯波御所とまで称された斯波氏を南部信直が攻略 南部氏の支配下に置かれた高水寺城【お城特集 日本の歴史】

戦国時代に入ると城を本格的に改築しその防備を強めていった。斯波氏最盛期には「斯波御所」と称されていた。
天正16年(1588年)、南部信直が斯波氏への侵攻を開始しついに斯波氏は滅亡する。

高水寺城(郡山城):斯波御所とまで称された斯波氏を南部信直が攻略 南部氏の支配下に置かれた高水寺城【お城特集 日本の歴史】

その後、南部家の城代として「中野康実」が入封し高水寺城を郡山城と改名した。
同時期に、南部信直は本拠地を不来方(盛岡)に築きここを中心に南部領内を治めることにし、郡山城も廃城となった。
現在は「紫波町立城山公園」として整備されている。






【高水寺城(郡山城)・場所・アクセス】
〒028-3304 岩手県紫波郡紫波町二日町字古舘

【高水寺城(郡山城)地図】



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