近藤 長次郎(上杉 宋次郎) |
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出身 | 土佐藩 | ||
職名 |
近藤 長次郎は、幕末期の土佐出身の人物である。別名は上杉宋次郎。
高知城下の饅頭商人の息子として生まれ、苗字がなく饅頭屋長次郎と呼ばれた。幼少期から聡明で土佐では河田小龍、江戸では安積艮斎らに学んだ。その才能を山内容堂にも認められて文久3年に名字帯刀を許された上で、神戸海軍操練所に入った。
岩崎弥太郎とは知己で、土佐を立つ際には餞別として刀を貰っている。同じく土佐藩出身である坂本龍馬とは仲が良く、龍馬と共に海援隊の前身である亀山社中を設立した。また龍馬の命令で長州藩に赴き、小銃を売り渡している。このとき、長次郎は長州藩主毛利敬親から謝礼の言葉を直々に受けている。
その後長次郎は、薩摩藩家老の小松帯刀が費用を出し英商人トーマス・ブレーク・グラバーが船の手配をしてイギリスへ留学する予定であったが、亀山社中の社中盟約書に違反したとして仲間たちより追及を受けたのち責任をとって小曽根邸で切腹した。享年29。
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