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徳川家康に散財させられ続けた豊臣恩顧の大名達
慶長十五年(1610年)徳川家康は、第九男の義直を尾張名古屋城主として任命する。任命すると同時に名古屋城の築城が開始された。この家康の実子が城主となる名古屋城の築城には加藤清正はじめ、豊臣家にゆかりの深い大名が多く動員されている。
これには家康が豊臣家に縁の深い大名達の忠誠を確かめると同時に、その財力を奪うという意図が現れている。清正は一生懸命石垣工事に励みました。自身の領国九州から職人や人夫など、数百人という人数を引き連れて石垣工事に取り掛かりました。もちろんその費用は莫大なものになります。
しかし、清正は「えいや、えいや」と掛け声をかけて自ら築城指揮にあたった。これが市中の評判になり沿道には多くの人々がその姿を見るために集まってきたという。こうして、多くの大名の忠勤により名古屋城は完成をみることになる。
【名古屋城地図】
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