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悲しい小藩の定め?新政府軍と旧幕府軍に二股をかけざるを得なかった郡上藩【日本の歴史ブログ】
郡上藩は幕末時には青山家が治める領地でした。
2万4千石という小藩の悲しさなのか、戊辰戦争時は新政府軍と旧幕府軍の両方に味方するそぶりを見せていた。
その結果、国元では新政府軍に恭順し、江戸屋敷では「凌霜隊」を組織して旧幕府軍とともに新政府軍と闘いました。
関東の戦いから会津若松の籠城戦までを戦い、会津藩の降伏とともに「凌霜隊」も解散となりそれぞれ国元へ送られることになりました。
結局、旧幕府軍は五稜郭の戦いを最後に終焉を迎え、新政府軍が日本を治めることになります。
これにより旧凌霜隊の隊員たちは国元で禁固刑や入牢を命じられるが明治3年にそれぞれ許されることになる。
小藩の定めとはいえ、この戦で命を落とした「凌霜隊」の隊士は複雑な心境だったのではないでしょうか。
【郡上八幡城地図】
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